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愛犬を殺してしまいました

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うちの犬が突然腰が抜けたようになり後ろ足が動かなくなりました。

こんなことは初めてで、どうしていいかわからなかったのですが、変なものを食べてこうなったと、絶食させると元気になる(卵が産まなくなった養鶏がまた産むようになると聞いていた)と思い込み、うんちしっこが垂れ流しになるのがいやだと、3日エサを与えませんでした。

4日目に祝日が開け、病院に電話していたところ、急に衰弱し、急いで点滴を打ちなんとか生き延びましたが、グッタリし餌も食べられない状態です。3日目にまた点滴、その3日目に点滴に行くつもりだったのに、栄養食などを舐めているからと過信してしまい、その次の日に亡くなってしまいました。

倒れた時にすぐ病院に行くべきだったこと(夜間祝日でも開いているとこはあった)、体勢を変えてあげるべきだったこと、餌をあげるべきだったこと、後から考えれば、当たり前のことを、ずっと側にいたのに、やらなかった自分が腹立たしく、毎晩毎朝苦しんでいます。
知人幾人にそのことをすぐ連絡したのに、誰も来ず何も教えてくれず(衰弱してからは来てくれましたが時既に遅し)、見殺しにしてしまったこと、その人達のことも内心恨んでいます。

とても大切なコでした。とても優しくて、何をされても一度も怒ったり反抗したりすることもなかったです。1人の時間も多く寂しい思いもさせていたと思います。
16才でしたが、とても元気で走り回っていて、夏用に毛も生え変わっていて、まだまだ生きることが出来ていました。

私はどうして、そんな酷いことをしてしまったのでしょうか?タイムマシンで戻りたいです。助けてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失礼します。

4年ほど前に愛犬を亡くしました。
飼育放棄されたのを引き取った犬でした。

初めての飼育で、犬の生態を全く理解していなかったので、はたから見たらもう虐待に近かった環境でした。
エアコンはないわ、人間のものばかばか食べさせるわ、シートもそんな替えないわ…
2匹目を飼っている今思い返すと、慚愧の念が絶えません。

彼は最後おそらく糖尿病か熱中症みたいな状態だったんじゃないかと思うんですが、
ウンコもオシッコもしなくなって2日くらいして、夕刻帰宅したらケージの中で死んでました。
死んでいるのも私がたまたま、彼に目をやってベロが出ているのに気づいたからで、
妻も子供もまったく気づいていませんでした。抱きかかえたら、まだあったかかったです。
思いかえして、今、泣きそうです。

でも、当時はなんでそうなったのかわからなかったので、「いきなり死んだ!」「看取れなかった!」と、
妻と子とひたすらなきじゃくりました。
9歳だったし、環境さえ整え方を知っていればもっと生きたでしょう。
私の無知によって、彼は心臓が止まってしまったんです。相当悔やみました。
むちゃくちゃツラかったです。

ーーーーーー

その後、どうしたかと言うと、ひたすら供養しました。
焼却炉に入れらるる予定の時間に黙祷し、骨を持ち帰って49日まで線香とドッグフード供えたり。
100日、1周忌、3回忌と、なまじお経を知ってる身なので、読みました。

それでもふっと後悔の念に苛まれて、夢に出てきて、一緒に遊んだりしました。
(納骨する場所などを探すのことなく、まだ家に祀っています)

出来る範囲で供養してあげよう!と思って、それを行えば、十二分に償いになります。
お経も線香も要りません。ふとした時に空に向かって黙祷してあげたりすればいいです。
あと、泣きたい時は思いっきり泣いて下さい。すこしずつダメージが軽減されます。
思いっきり泣くのも供養です。
ですが、こちらが延々と悲しんでるのも、あちらから見てても辛いんじゃないかと思います。
時間は元には戻りません。ご自身の中の、記憶の中のその子に精一杯謝って、そして喉元撫でてあげて下さい。

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有り難し
おきもち

黙庵(もくあん)
紆余曲折の果てに出家しました。 現在は7年ほどの修行期間を経て 京都府...
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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございます。
成犬になってから飼ったのですか?
それだと、こうゆう言い方は良くないですが、そこまで愛着はなかったかもしれません。
もっと憐れな環境のわんこ達は星の数ほど、いるんじゃないかと思います。
うちは3ヶ月の子犬の時から飼いました。
うちに来て幸か不幸か、ただ幸せそうな表情の写真が救いです。最後の時は、これまで通り元気だから大丈夫と思ったのが間違いでした。

今も毎日話しかけ、謝り感謝の言葉を口にしています。
でも、供養は生きている人の為ではないですか?
自分が死んだ後に、どんなに供養されようが食べ物やお金を捧げられても、「生きている時にしてほしかった」としか思えません…

だからこそ、生きている時に大切にしてあげないといけないと本当に思いました。
「当たり前」じゃなかったです。
ありがとうございました。

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