現世は地獄なのか
自分は生まれたときから喘息、アレルギー、同性愛と身体的社会的にある種のハンデを抱え生まれてきました。
身体的な問題は部活などで一般人レベルまでには至ることができ、改善出来たと思います。
性的趣向は女性の方と付き合ったりしましたがやはり違和感があり、変られないものですね。
この世の中を生きていくにつれて、何か自分ではどうしようもないことが頻繁におこり自分の人生を歪められているような気がしてなりません。
育った家庭も母と父方の祖母、父と兄が冷戦状態で暖かい家庭ではありませんでしたし、部活でも素人の私が小学のときに全国大会にいった人たちとレギュラー争い。高校受験も三年間頑張って勉強したが定員割れであまり頑張って来なかった人も受かる。大学は父が廃業し、進学を諦めました。
そういったことで高校卒業後直ぐに就職しましたが、一定の成果をあげると次々に増えていきそれが出来ると不得意な分野にまわされ、またそれが出来るとまわされるということが短い期間で起こります。
同期などはのほほんと同じ仕事をしているのに。
職を変えてもまた同じような現象が繰り返されます。
何故か最初から不利なことばかりが繰り返され、乗り越えてもまた不利な位置に戻される。或いは努力しても報われない。
そんなことが頻繁におこるのでもう何もする気にならなくなってしまいました。
世の中を見ても些細な争いや戦争・病気・飢餓
自分やそのごく狭い周囲のことしか考えないような言動
一つの失敗で築き上げてきたものが壊れる
なにか蜘蛛の糸を垂らされ必死に登りなりなさいですとか、石を必死に積み上げてる最中に崩されるですとか聞いたことがある話がこの世には溢れているように思えます。
やはりこの世は地獄なのでしょうか?
早くこの世を抜け出したいと思う今日このごろです。
他人を評価してしまうのでその目が他人からも向けられているのではないか 1人の人を愛せない 他人の心ない言動に怒りをおぼえる 何事も無意味だと感じてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
抜け出して、どちらへ?
こんにちは。「やはりこの世は地獄」というのは、「何となく予感がしていたが、実際生きてみて確信した」という意味ですね。
それはさぞかし大変であったと思います。
ただね、私も行ったことがないので分かりませんが、地獄には一本の花だって咲いていないでしょう。一幅の綺麗な景色もないでしょう。
あなたがもし、これらを見たことがあるならば、そこは地獄ではないでしょうね。
つまり、この世には「地獄じゃないかと思うこともある」し、「地獄ではないと感じることもある」のが真相ではありませんか。
「この世は地獄である」というのは、一つの視点というかテーマです。あなたがそのテーマを持ち続ける間、物事はそのテーマで判断されます。「この世は金次第である」と思っている人は、そこでしか判断できないのと似ていますね。
仏教では、「この世は思い通りにならないことが多い」と言っています。あなたの言う「歪められた」がそれに当たるか分かりませんが、そうであるならば「この世はみんな歪められる所」なのです。だから、時々合う「思い通りにいった、嬉しかった」が尊いものになるのです。
さて「抜け出して、どこへ?」です。地獄を含む六つの世界が想定されていますが、何れも程度の差こそあれ、「苦がある」という本質は変わりません。なので、「抜け出す」ことを企図するよりも、「その中にあって、どうするか?」を望んだ方が良いと思いますよ。
質問者からのお礼
ご回答下さりありがとうございます。
就職して何年かたった頃から、この考えが芽生えはじめました。違和感というか何というか、、この世が地獄であると仮定すると合点がいくことが沢山あったからです。
仰るとおり、一つのテーマで見ていただけですね。自分の考えが凝り固まっていたことに気づかされました。
自分の力が及ばない範囲から攻撃してくるものの正体は何なのでしょうね。もし死ぬことがあればそいつにあらゆる苦痛を与え続けてやります
私は元々だれからも優しい人間と言われ人に迷惑もかけないようにしてきました。
そんな俺に対して執拗に攻撃してくる奴が憎い
因果応報です