毎日のお仏壇へのお参りについて
毎日のお仏壇へのお参りについてお教えください。
私は強迫性障害という精神的な病気を20年以上患っております。
この病気は自分の意思に反して嫌な言葉や想像が次から次へと連想ゲームの様に浮かび強迫観念に囚われてしまう、おかしな病気です。特に縁起恐怖、神仏への強迫観念があります。
その為、毎日のお仏壇へのお参りの時も強迫観念が浮かんでしまい、とても時間がかかってしまいます。
決してお仏壇へのお参りは嫌ではないのに、この病気のせいで精神的な負担になってしまっています。
私のお参りの仕方は仏飯やお茶を用意し、お仏壇のホコリを拭いてからお供えをして「家族を代表してご挨拶をさせて頂きます。私の邪念邪心雑念、強迫観念を取り払って聞いてください」とお願いし、お線香をあげ 今日も一日、家族全員が安全に健康に無事に幸せに過ごせますようにという事と特に強く願っている一人娘の幸せを具体的にお願いしています。
そして、何十年も前になりますが流産をしてしまった子へ「いつかきっと元気に私達家族の元に生まれて来てね。会える日を家族全員で楽しみに待っています」と伝えています。
こうして、お参りをしていて強迫観念が浮かんでは、もう一度言い直すことの繰り返しです。
お仏壇へお願い事をしない方が良いという事は、こちらの問答を拝見して分かってはいるのですが、もしもという事があるかもしれない!?毎日お願いしているのに今日しなかったら、、、と強迫観念が浮かんできてしまいお願いしてしまいます。
毎日、一々お願いしなくても神様仏様は私の願いや思いを分かってくださっているから大丈夫。そして、嫌な想像や言葉が浮かんでも私の本心ではない事も分かってくださっているし悪い事は起こらないから大丈夫!と自分に言い聞かせてはいるのですが強迫観念に囚われてしまいます。
就寝前のお参りも「今日も一日、家族全員をお守りくださり、願いを叶えてくださり、幸せをお与えくださりありがとうございました。お陰様で家族全員無事に幸せに過ごす事ができました。これからも、どうか宜しくお願い致します」とキチンと御礼をお伝えして、ご挨拶をしないといけないのではないかと強迫観念にかられてしまいます。
朝晩のお参りの際、どの様に ご挨拶をしたら良いのでしょうか。
また強迫観念が浮かび邪念邪心が入っても大丈夫なのでしょうか。
お教え頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お仏壇の前では、ホッと気を抜いて、手を合わせたらいい。
そうですか。。。
わかっていても、浮かび上がってくるのですよね。それが苦しくて仕方ないのですよね。
お仏壇へのお参りはね、宗旨により作法は違うでしょうが。仏様はね、あなたが口にするより、頭で描くよりも、先に もぅ知っていてくださるのですよ。全部、お見通し。ちゃんと、あなたを見ていてくださっているのです。
あなたが、お仏壇へ向かって手を合わせていること。あなたが、何を抱え 苦しんでいるのかも。全部 知ってくださっているのです。
あなたが お願いしなくても、わかっているよと先に届いているのですよ。
ですから、お仏壇の前に座ったときくらい、ホッと気を抜いて、手を合わせたらいいのですよ。
あなたが黙っていても、仏様は、あなたの味方。あなたのそばに、ちゃんといてくださっています。
だから、仏様に甘えて。頼って。
お仏壇の前は、そんな 安心の居場所なんですよ。
質問者からのお礼
あたたかい御言葉ありがとうございます。
強迫観念があるために、
いつも無意識に体に力が入っている
日常を送っているのですが、
御住職のお話を読ませていただいて今、体の力が少し抜けた様な気がします。
変わった病気の為、なかなか理解を得られず人に相談する事が出来ずにいました。
強迫観念に囚われて、どうしようもない時には、何度も読み返し
強迫性障害に立ち向かって行こうと思います。
ありがとうございました。