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神様(仏様)

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

これまでの私の人生は完膚なきまでに何度も何度も他人に陥れられ、辛く苦しいものでした。
さらに今後も私だけでなく子供達までそんな目にあわされそうです。
私は神様は姿形なく、仏様やキリストやイスラム、世界の神様もみなひとくくりに大きなくくりで「神様」とお呼びして時々心の中でお祈りするのですが、近頃はその祈りの結果が伴わないので理不尽さに対する怒りしか湧いてきません。この感情を処理できないです。誰かに怒りは行きます。それは1番近くにいる子供にかもしれない。今後処理できそうにありません。
もうずいぶん前からお金と人間関係に追い詰められています。
どうすれば。どうすれば。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他人が信用できないとあなたの宗教観とに関連ありますか

みんな自分の都合で生きています。だからといって他人を陥れてそれで自分の都合をよくするのはいけないことだと考える人もいれば、どんどん人をだまして自分の利益を得ようする人もいます。悪い方では、振り込め詐欺なんていい例ですね。一方で見ず知らずの高校生にポンと何万円も貸せるお医者さんもいるわけです。

上記が人間社会の真理であって、いい人もいる代わりに悪い奴も吐いて捨てるほどいるわけです。実はみんな煮え湯をのまされながら生きているようです。私もそうです。これは昔から変わらないし、今後も変わることのない永遠の真理なのでしょう。悲しいけど。だから、これに対しては順応する以外にありませんよね、という話です。

あなたは上のことと、神も仏もあるものか、という考えを一緒にして考えておられますが、それは正しいでしょうか。日本の神様たちは、たとえば合格祈願に利用される神様ですが、これは気分の問題でしかありませんね。みんな通していたら試験なんてやる必要がりません。だから合格祈願などは気分をよくする、景気づけ以上のものではありません。

仏さま教えの方は、心の浄化やその結果としての精神の安定、ものをありのままにみる智慧の獲得を目的としています。何もしなければ心は浄化されていない状態、つまり汚れているということです。だから普通の人、そして形としてはお坊さんの人でも、なんでもやってしまうんです。私の仲人夫婦は双方寺生まれ寺育ちですが、ウソとカネをよこせとお前らなんか知るかい以外のことを言ったことがありません。醜いものです。

ただ心の平安を説く仏教は、恨みや憎しみについては、それは精神を曇らせ、苦しみを増すばかりのものだから捨ててしまえ、と教えます。捨てるのは簡単ではありませんが、憎しみによって憎しみが消えることありません。恨みを捨てることだけが恨みを超える唯一の方法です。そうお釈迦さまは教えてくださっています。

生きにくい娑婆だからこそ、自他のこころの平静やすべての生命の幸福を願う心を持ちたいものです。いつもそんなふうには生きられないかもしれませんが。

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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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神様に祈ってもお金は降ってきません。
神様に祈っても人間関係は良くなりません。
神様に祈っても希望する仕事には就けません。
それらは全てあなた次第なのですから。
あなたが仕事をすればしただけのお金が貰えます。
あなたが他者と笑顔で優しい言葉で接したら、他者もあなたに優しい言葉で接してくれるでしょう。
仕事も世間体など気にせずに選ぶ方がいいでしょう。
フルタイムでなくてもいいと思います。時間に余裕があればそれだけお子さん達と触れ合う時間も、家事をする時間も、自分の為の自由な時間も作れるのですから。
なお、いじめなどあった場合はあなただけでなくご主人からも学校と相手の親に対して怒らないといけませんよ。
怒りは子供にではなく、本来怒るべき相手にぶつけてくださいね。
懸命に生きるあなた達を仏様やご先祖様は見守っていますからね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

祈りの内容が神様への要求が多くエゴ丸出しで、自分に降りかかる不幸を誰かのせいにしたかった。追い詰められているので 誰かに依存して甘えたい幼稚な私の煩悩です。沢山のお坊様が私のために、いつもお忙しい中親身になって回答を送って下さり、本当にありがとうございます。

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ