まわりにろくな人がいません。
ろくな人間がいないと思いませんか?
特に女性。
ワガママで身勝手な女性が日本には多いし、実際そういう人しか見ません。
散々その気にさせておいていざボディタッチでもしようもんならセクハラだと騒ぐくせに、イケメンが触っても何も言いません。
婚活では全く相手にされません。
友達だと思ってたやつも僕を利用していただけでした。
どこへ行っても孤立します。
特に女性から嫌われます。
女性にはいい人はいない、男もあんまりいない。
自分しか頼りにできません。
こんなくそみたいな世の中を渡っていく為の心構えを教えて下さい。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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期待すると辛さが増す
タンスやドアに足をぶつけて痛い思いをしたことはありますか?私はけっこうあります。
自分自身の肉体でさえ思いどおりにコントロールできないのですから、他人が自分の期待どおりに行動してくれないのは、普通なのです。
しかし私達は、「こうなって欲しい」と期待したり、「このまま変わらないで欲しい」と執着してしまい、裏切られ、悩み苦しみを増やしています。
まずは、「世の中は思いどおりにいかない」と覚悟(さとる)しましょう。
世の中の刺激は全て「苦」です。
旅行に行きたいなというのも「苦」
。旅行に行ったら行ったで疲れた、早く帰りたいというのも「苦」。「あぁ、やっぱり家が一番おちつくわ」とか。
無い物ねだりで欲しくなりますが、手に入れたら手に入れたで、別の新な苦しみが生じる。
独身には独身の「苦」、結婚したら結婚した人の「苦」。
こっちの苦からあっちの苦へとサーフィンしているのが、生き物です。
なので、周りに良い人ばかりだとしても、それはそれで新な「苦」が生じるので、結局は「どっちでもいい」のかもしれません。
まあ、「類は友を呼ぶ」という言葉もありますが。
追記
私は一応お坊さんです。あなたが期待しているようなお坊さん像ではないかもしれませんね。
期待すると、腹が立つのです。
追記
なお、私のプロフィールに「浄土宗教師」とあるのは、僧侶資格の名称です。
他人への怒りは自分のストレスになります。「ろくな人間がいない」というのは、あなた自身が周囲の人にむかつく怒りの煩悩ではないでしょうか。
浄土宗では末法思想という考え方もあります。
お釈迦様が亡くなって時間が経ち、仏教教団がすたれて人々の精神レベルも落ちてしまったという時代認識です。
「ろくな人間がいないが、まぁ仕方ないな」と怒らず受け入れた方が、ストレスは減ります。
質問者からのお礼
(編集部より。規約により投稿を削除しました。)
(編集部より。規約により削除しました)
願誉浄史氏へ
それは失敬、てっきり自称坊主かと。
怒りは煩悩?
怒りを手放したら相手の思う壷。