苦しいです
この数ヶ月の間に、私の家族内に度重なる不運が起こってます。
父の病の発覚、祖母の死、兄の会社が倒産、、短期間で起こっている為家族の気持ちが休まりません。私自身では、以前にご相談させていただいた子供の件があります。そして今年は厄年の大厄です。考えたらきりが無いのですが、何か関係しているのか?子供の事は許される事ではありませんが、毎月欠かさず供養には行ってます。忘れる事も1日もありません。今後穏やかな気持ちで日々を送る事が出来ますでしょうか?どうしたらいいのか?不運、不幸が重なり過ぎて苦しくまた、臆病になっています。どうか何か助言等いただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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目を向けるべきもの
ご相談拝読しました。
大きな苦しみの連続の中で不安と恐怖に包まれているのですね。お気持ちお察し申し上げます。
しかしどうでしょう。それぞれの出来事には必ず原因があるはずです。
お父様の病にも、お祖母様の死にも、お兄様の会社の倒産にも。
その真向かうべき原因から目をそらして、それらは全て「何かのせい」としてしまえるのなら、それは恐怖でありつつも同時に楽なのかもしれません。自分は責任を逃れることができたり、傷つくことを避けられたりするからです。
ですがその陰で責任を押し付けられる存在、それが目に見えない「厄」や「故人」であるならば、それらにとってはたまったものではありません。
人間の考えは「自分が納得したい」という自己中心的なものです。でもその考えに凝り固まることでは救いは有りません。
自分の納得以前の事実にこそ目を向けていきましょう。
人が生まれたなら老い、病み、死すことは避けられません。会社も社会の需要に応えられなければ経営は傾きます。
どうかお子様を「祟り神」や「怨霊」のような存在にしないでください。むしろ私たちにその在り方を問うてくださる仏様として見出していきましょう。
迷っているのは亡き人ではなく生きている人。亡き人のせいにするのは生きている人の勝手な考えです。
苦しみは避けようとするのでなく、真正面から向き合うことでこそ引き受けられます。外にばかり原因を求めても、外をみる自己の内の眼が開かれなければ何を見ても変わらないからです。
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。ご助言いただいた内容を見てはっとしてしまい、また自分が恥ずかしくなりました。事が重なり過ぎて、気持ちが落ち込んでいたせいか何か理由を考えてしまっていた事。。
ただ、子どもの件では愛しい存在ですし、祟りとは思った事はございません。誤解を招く表現をしてしまい、申し訳ありません。
的確なご助言本当にありがとうございました。また相談させていただく事もあるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。