これは変ですか?
二ヶ月前くらいに京都のある神社に
お参りしました。
その時もそうでしたが、それ以来
「お参りしたい」とか「行きたい」
とは違ってその神社の神様に「会いたい」と思うようになりました。
普通なら「神社に行きたい、お参りしたい」なのに「神社にお参りして
その神様に会いたい」という感覚は変ですか?
ちなみにその神社はとあるお酒が大好きで有名な妖怪の首塚を纏っている神社です。
ネット情報などの噂では「鳥居をくぐったら呪われる」とありましたが呪われてる感覚はまったく無いし、私個人的には嫌な感覚とかもなく居心地良かったです。
ちなみにその神社の神様には「そっと見守り、そっと応援してください」と
お願いしてお酒をお供えしてきました。
むしろその神様が妖怪だった頃に纏わる伝承から大好きです。
いわゆるその大妖怪ファンだからなのかまたお会いしたいのだとは思います。
むしろ、その神様が呪ってきても気にしないし、ほんまに居たら一緒にお酒呑みたいくらい大好きです(^^)
住んでるところが東京なのでなかなか会いに行けなくてむしろ寂しい半面、また会いに行きたいし、会うのが楽しみです。
まったりのんびりだけど、気まぐれで 普段はおとなしくしてるけど… 陽気に騒ぎたい年頃です。
欲が深すぎてしまったり、信仰に躊躇いがある為あくまで宗教を学問として学び取りたいこと。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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会いに行ける神様
こんにちは。
先日、ここの回答僧もしている五百羅漢寺さんにお参りに行ってきました。
たくさんの羅漢像がおまつりされていました。どの像も表情豊かで、見飽きる事がありませんでした。
ご住職さんと話をする中で、ここの像はお参りする人の目線の高さにおまつりされていて、昔から「会いに行ける仏様」として親しまれてきたんですよ、という話が印象的でした。AKBのコンセプトと似ているなぁと思いました。「推し羅漢」的なものもあったようで、個人で修復がなされている羅漢像もありました(もちろん現在は個人で勝手に修復できません)
あなたの感覚もそんな感じなのかもしれませんね。おかしいということはないと思いますよ。
特に神社ですと、「学問の神様」「商売の神様」など、祭神に会いに行く感覚がありますよね。
質問者からのお礼
ありがとうございます!
いわれてみれば確かに推しの妖怪さんでしたから、推しの神様ですね!
また機会があれば絶対にその神社に
お参りしてきます(^^)