自分の中で、夢が揺らいでしまった。
初めて相談させて頂きます。
自分の将来の夢について話します。
些細な事かもしれませんが、見て頂ければ幸いです。
自分の将来の夢はYoutuberになることで、やはりまだまだ世間には浸透していない職業であるため、自分でもリスキーな道だとは思っていますが、自分の作ったコンテンツで他の人が笑顔になってくれるのを思い浮かべると、心からワクワクして止まなかったのです。
しかし、その事を母親に伝えると
「あなたは目立ちたいだけなのではないか?」と言われ、心の中で認めたくは無かった核心を突かれ、放心してしまいました。
そして、その時気づきました。私は確かに心の何処かでYoutuberという職業が、他人からちやほやされるから良いという側面で見ていた自分を、他の人を喜ばせるという真っ当な理由を立てて隠していたのかもしれないと。
そして、私は今、こんな自分の事しか考えていない人間が、他の人のために何かを作ったところで結局は自分の名声や賞賛のために行動してしまっているんだ、心から人を喜ばす気なんて自分には無かったのかと思ってしまい、こんな人間はエンターテイナーになる資格なんて無いのではないかと、ずっと心がもやもやしています。
長い間掲げていた夢が、自分の中で揺らいでいます。
自分の夢に対して、どんな風に向き合ってゆくべきでしょうか?
自分に甘えてしまい、いつも中途半端に事が終わってしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お母さんはよい助言をくれましたね
何のためにそれをするのか、どうしてそうなりたいのか、という根源的な問いを投げてくれたお母さんは偉い方だなぁと思いました。よいお母さんですね。
ただ、だからyoutuberをやるということ自体をやめる必要はないと思います。youtubeで何か投稿しようとする際、何を作りたいか、どう作りたいか等々を練りあげ、実際に制作し終わってアップするまでの間にものすごくたくさんのことを学べるでしょう。やってみる過程のなかからでしか得られない知見というものもあります。とりあえず自分がやってみたいことをやってそれを通して世界や社会を知るのって、とても大切な学びだと思います。
世の中には、みなが必要としているのに、提供されていない情報って山ほどありますから、それを自分がyoutuberになって世間に広めてあげるということに意義がないはずがありません。
私ごとですが、あるマンガをカナダにたくさん送ったことがありました。滋賀県彦根市役所が作成した、彦根城や井伊家の由来をマンガにし英語のセリフを付したマンガでした。明治、大正期に彦根からカナダに移民した人が多かったので、その子孫の方々に読んでもらいたかったんです。いまはこうしたマンガの役割をyoutubeが果たすようになっています。作って、アップしてほしい、世の中の役に立つyoutubeの番組は山ほどあるんです。
専業のyoutuberとしてそれだけで生計を立てられなくてもいいと思うんです。安定した職業について、副業でも趣味でもいいから、作って世間の人にみてもらいたいものをアップしていったらよいのではないですか。やってみるところから、なんのためにやっているのかを見つけてみるという考えもあるんじゃないですか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
心のもやもやが晴れました。
とりあえず、自分のやってみたい事をやって、それを通じて色々と学んでいきたいと思います。
回答をいただき、感謝しかありません。
本当にありがとうございます!