生きてることが辛いです。
妊活と不妊治療をして5年になります。
中々、治療を頑張っても身を結ぶことはなく、毎月ダメになると自分は女として失格だ、何で生まれてきちゃったんだろうと自分を責めてしまいます。
最近は生きていることが辛くなり、楽になりたいなとも考えてしまいます。
でも死ぬ勇気がなく、もがいてます。
小さい頃から、好きな人と結婚して、子供ができることは当たり前と思ってました。
周りは結婚したと思ったら子供ができ、生活するにも目に映るのは子供もいて幸せそうな家族や妊婦さん。
そうなりたいと思ってもなれない自分。
嫉妬と羨ましさばかりで自分が嫌になります。
どうやったら、この感情から抜け出せるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
つらい気持ちを否定しない
お子さんがほしくての、つらい不妊治療。それだけでも本当に大変とお察しいたします。私のまわりにも、子ども好きの子どもなしの人生を歩いている人が増えています。理由は様々でしょうが、なかには生き辛さを感じてある方もあると思っています。
不妊だけではなく、様々な病気のために能力はあっても子どもを持てない人もいます。
理由はともあれ、結婚したら自然に子どもができて家族ができて、と想像するのは自然のことです。つらい気持ちはだんだんと妬みやマイナスの感情を引き起こします。
でも表面幸せな家族が本当に幸せかはわかりません。人の人生はどう展開するかわからないのです。子どもがほしい方なのに、ちょっと失礼かもしれませんが、子どものない人生も考えてみるのは、ちょっと視点を変える意味で有効ですよ。それは逃げではなく新しい考え方へのヒントです。私の友人も子どもができませんでした。だから、子どもを見ると「健やかに育ってね」という気持ちになるそうです。自分には生めなかったけど人が生んでくれている、と。
妊娠や病気については、いつも「何で自分が、何で自分だけ?」と被害的に受けとめがちですが、今生きていて元気であるだけでも実は幸運です。先ほど書いた不妊の方もいつも子どもに視線が行きますし、「本当に子どもが好き」と言いますが、色んな子を見て、すべて愛しく感じるし、誰かが子どもを育ててくれている、という考えで、明るく乳児室の世話の仕事をしたりしています。
つらい気持ちは否定しないでよいのです。何で自分には子どもができないのか→何か自分の使命があるのかな?ちょっと視点を変えて見ようかな?くらいの感じで世の中を見てみて下さい。つらい時は誰がなんと言ってもつらいです。その気持ちを無理に押し込めないで、つらい気持ちのなかから、また何かを見てください。妬みや僻みのような気持ちに変化があるかもしれません。私には、悩むあなた、つらいお気持ちのあなたの存在が尊くみえます。
四苦八苦
ハルさんこんばんは。大変辛いですよね。不妊でも一人一人、環境も身体も違うので他の人にも相談しにくいですよね。実は私のところも結婚して5年過ぎましたが子宝には恵まれていません。事情があり不妊治療をするまでには至っていません。またお寺ですので他の方よりも子供はまだですかと聞かれることも多いです。檀家さんの中にも不妊に悩まれている方もいてハルさんの質問がよくわかります。仏教では四苦八苦教えがありその中に求不得苦という苦しみがあるとお釈迦様はお説きになられています。これは自分の欲しいものが得られない苦しみという意味ですが生きていく中で得られないものは人によって違いますが思い通りにならいことに気づかなければならいということです。僧侶の私でも求不得苦に悩まされことは多いですがそのおかげで妻との二人の時間も増え会話も多く子供のいない時間を大事にしています。人は得られたものより得られてないことに意識が向きがちで苦しんでしまうのです。私の今は仏様が与えくださった時間と考えています。
妻と会話の中でもし私達に子供が恵まれなかったら御縁がある子供も特別養子または里子も考えようと話あっています。
昔の日本は人の子供でも自分の子供として育てた文化の歴史が長い民族です。このことも視野の一つとしてご主人様と今の時間を大事にしたください。
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。
どんなに努力しても叶わない思い通りにならないことは分かってるつもりでしたが、気持ちの整理が出来ていない時点で本当は分かっていないんだと思いました。
辛くても逃げることは出来なくて、現実逃避するためにお酒に逃げてしまったこともありました。
主人との生活も長いせいか、今一緒に居れることが当たり前になってしまっていて主人との穏やかな時間の過ごし方を忘れていました。
今も辛い時は消えちゃいたいと思いますが、辛い中でも目標や幸せを見つけられるようになりたいと思います。