過去を楽に受け流したい
こんにちは。
私は結婚して数年経つパートナーがいます。
私は真剣に交際し、きちんと向き合ったといえる恋人は、その方のみで、結婚するに至りました。
結婚する前に、その方の嘘が発覚したことがありました。交際当初、元のパートナーときちんと切れておらず、期間が重なっていたことです。
ただ、嘘が発覚した時には、もうすでにその重なっていた期間からだいぶたっており、真剣に将来を考えて交際していたこと、現在と未来に焦点を当てたら、やはり一番のパートナーだと言えたので、別れずに、現実を受け入れるという選択をしました。そのときには、改めてもともとのメールアドレスやSNS等を解除して、完全に元交際相手が連絡することが不可能になるようにとお願いをし、パートナーも受け入れてくれ、それ以降今に至るまで、一番大切にされている、と感じます。パートナーも、私が心配すると、解消しようといろいろなことをしてくれる努力も感じます。
ただ、やはり過去のことは、嘘が発覚した当時、全て聞いて明らかにしよう、いつからいつまで、どのように、どこで、などと根掘り葉掘り聞いたのですが、やはり過去のことで、しかも期間も過ぎていたことため、すべての客観的な証拠を見ることは無理でしたので、曖昧だったよな、という点もやはり残っています。
なので、たまにふとした時に、そういえば、あの点は本当はどうだったんだろう、、、と疑心暗鬼になり始めると、不安が止まらなくなり、パートナーに疑いをぶつけてしまいます。ひどいときは、今も嘘つきなんじゃないかと疑って全てに疑心暗鬼になってしまいます。
パートナーからは、本当に大切にされていると感じますし、私達の関係性、私の性格もパートナーとの日々を通して、常に改良されていっていると感じます。なので、過去の一部分の辛い思い出をいつまでも引きずり回して、幸せな思い出をないがしろにしている自分、パートナーも、私のために自分の悪かった点を改良しようとしているのに、私が疑ってばかりいたり、過ぎた過去について不満ばかり言うのは、パートナーに申し訳ないです。
相手の過ちや過去の欠点を、無理に忘れたり避けたりするのではなく、自然に受け入れて、現在や未来に集中できるように、今のパートナーと向き合ってお互いを幸せにできるようになりたいのですが、もし考え方のアドバイスをいただけますと幸いです。
長文ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝過去はやり直せないが、見直すことはできる❞
あなたは「専業主婦」でしょうか、「共働きご夫婦」でしょうか・・・。
もし、働いておられるのなら「そんなこと、ゴチャゴチャ考えずに仕事に打ち込め!」と申しましょう・・・😅。他の事に集中できれば、いつか忘れてしまいます。
という事で、「専業主婦」という前提で、お答えします。
❝過去はやり直せないが、見直すことはできる❞・・・仏教でよく言われる「謂い方」です。一旦、「起こったこと・やったこと」をチャラにすることはできません。しかし、それを反省・慚愧(ざんき)し「見直し」今後どうするか、というヒントにすることはできる・・・という意味です。
パートナーにどんなことがあったか、「もうどうでもいい事」です。今、あなたを選んで結婚なされたのですから・・・。ただ、「信じる」のみです。
日本では、昔は幸せとは「仕合せ」と書いていました。一生「仕」える人に出「合」えた、ことを「仕合せ」と言い表したのです。あなたは「いいパートナー」に出合えたのですから、「仕合せ」な人です。小生はそう思います・・・(マジ)。
〈相手の過ちや過去の欠点を、無理に忘れたり避けたりするのではなく、自然に受け入れて、現在や未来に集中できるように、今のパートナーと向き合ってお互いを幸せにできるようになりたいのです〉・・・それが答えです。
❝心配するな 大丈夫 何とかなる❞・・・一休さんのお言葉です。イライラしたり、不安になったりした時、つぶやいてみて下さい。心が落ち着くはずです。
なお、「主婦業」以外に、趣味や興味ある事など、「習い事」を始めるのも宜しいかと・・・。他に「気がまぎれる事」をしていると、「イヤなこと」が頭に浮かぶことはありませんよ・・・(笑)。あまりにも「仕合せ」過ぎて、かえって「不安」になっているのかも・・・。そんな感じさえします・・・。が合掌