長男の激昂に苦しいです
希死念慮に飲み込まれそうになりながらも、薬を多量に飲むことでなんとか生きております。
今日は高校1年の息子の事で相談させて下さい。
息子は発達障害グレーゾーンの子です。診断がついていないし、私達も診断をつけて欲しくなかったので、健常者として育ててきました。
小さい頃から私にべったりで、疲れても誰も助けてくれませんでした。普段は素直で甘えん坊の可愛い子でしたが、私と離れる事や私に対してゆずれない事は泣き叫んでいました。どうしようもなく、叩いた事もあります。
学校でいじわるされる事はあってもいじわるする事はなかった。しかし、その分、妹に当たる事はよくありました。
小学6年の頃からでしょうか。少しずつ嘘をつくようになりました。部活をさぼる為の嘘でした。時期が経ってから聞いてみると、「事情を説明したって聞いてくれんかったやろ」と言われてショックでした。息子は私が聞かないと言うよりは主人が聞いてくれないからと言ってましたが、信頼されてないことに気が付きました。
思春期にいう事もあり、どんどん話さなくなってきてますし、適当に誤魔化されてる事も増えてきました。
詳しく聞こうとすると、キレます。
落ち着いているときは、簡単ながらも学校の愚痴や社会情勢の話等話しかけてくれます。私の体調や病気の事も「どんな感じ?」と聞いてくれます。娘に関する悩みも聞いてくれる事もあります。
しかし、イライラをぶつけられ、喧嘩になって殴られたりしたこともあります。「お前も叩くやん」と言って悪びれる様子はありません。私が泣いてしまうので「追い込む気はないねん。俺もイライラしてるときはどうしてもとめれないんや。」と謝ってはくれます。
根は小さい頃から変わらず優しい子なんだとは思うのですが、他人の気持ちの共感が薄いように感じます。「殴られたから殴り返した」とか正論を言って「俺、悪くない」とよく言うようになってきました。
「世の中、色んな人がいる。それぞれに正論がある。自分の気持ちを殺す必要はないけど、折り合う事は大事だよ」と言うと「お前たちだって、俺の意見聞いてくれないやん。我慢してる事いっぱいあるよ」と返されます。
今は息抜きのゲームをしてるときにイライラして「殺すぞ」と怒鳴ったり物を蹴ったりします。
鬱のせいか怖くてたまりません。犯罪者にならないだろうか?虐待する親にならないだろうか?不安です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無自覚のネガティブアウトプットが相手に影響を及ぼす
私は高校から大学までは親の存在をさほど意識したことはありません。(笑)
その位、男子というのは自分のことしかない時期があります。
極端な話、犬でも猫でも家庭の中で高みにまつりあげてカン違いさせると自分が一番偉い人になってしまいます。
テレビの番組やら、公の機関でお子さんの様子が全国公開されたら、おそらく恥ずかしくてそんなことはしなくなるでしょう。そういう心理が人間にはあります。
かたや、きわめてオフィシャルなさらけ出されの世界があり、
かたや、きわめてプライベートな自分だけの世界もあります。
それでも共存しているのが人間ですから、自分のエゴを中心とすれば誰かとぶつかり合ってしまうのは当然のことでしょう。
仏教では究極の独立精神を説きます。
各人各自がそれぞれ究極的に独立・自立・分離精神を自覚すれば、それぞれが自分のことをやればいいだけなのだと分かり、他人のことなどかまけている場合ではなくなるのです。
ドライに聞こえるかもしれませんが、そういう意味ではなく本当にただただ淡々と自分のことだけやっている世界に目覚めるべきでしょう。
あなたがお子さんのことが気がかりなのも、あなたの身心ディスプレイ上の映し出されとその後のワイドショー思考なのです。
怒鳴り散らしたこと、突っかかってきたことはもうどこにもアラジンです。
後はその事を思い出す人間のワイドショー思考があるのです。
脳内司会者を変えましょう。
ワイドショーの司会者は導き先が誰かの都合ですが、本当にあるべき姿は万人が本当に納得できるあり方に導ける精神性です。仏教ではそれが菩提心です。
親子が仲悪い、子供が険悪だ、関係がうまく行かないなら、菩提心をもってオフィシャルかつ慈悲慈愛あふれる寛容なホトケ目線でどんなに険悪であってもそこからより良い方角を見出すのです。
それが第三の道であり、両極端に偏らない、是非善悪の二極論ではない自由な発想です。
今までは大変お苦しかったと思います。
でも、それも我が子のことを完全に自分のこととしてしまっている所があるのです。
お子さんはお子さん。
あなたはあなた。
一度お互いに独立・分離・出離致しましょう。
それが出家の精神です。
家族であってもそこが徹底されればお互いリスペクトできるのです。
親にとっては困るご性格でも社会に出れば大きな力となる所もあるのです。
応援しております。
無自覚のネガティブアウトプットが相手に影響を及ぼす
私は高校から大学までは親の存在をさほど意識したことはありません。(笑)
その位、男子というのは自分のことしかない時期があります。
極端な話、犬でも猫でも家庭の中で高みにまつりあげてカン違いさせると自分が一番偉い人になってしまいます。
テレビの番組やら、公の機関でお子さんの様子が全国公開されたら、おそらく恥ずかしくてそんなことはしなくなるでしょう。そういう心理が人間にはあります。
かたや、きわめてオフィシャルなさらけ出されの世界があり、
かたや、きわめてプライベートな自分だけの世界もあります。
それでも共存しているのが人間ですから、自分のエゴを中心とすれば誰かとぶつかり合ってしまうのは当然のことでしょう。
仏教では究極の独立精神を説きます。
各人各自がそれぞれ究極的に独立・自立・分離精神を自覚すれば、それぞれが自分のことをやればいいだけなのだと分かり、他人のことなどかまけている場合ではなくなるのです。
ドライに聞こえるかもしれませんが、そういう意味ではなく本当にただただ淡々と自分のことだけやっている世界に目覚めるべきでしょう。
あなたがお子さんのことが気がかりなのも、あなたの身心ディスプレイ上の映し出されとその後のワイドショー思考なのです。
怒鳴り散らしたこと、突っかかってきたことはもうどこにもアラジンです。
後はその事を思い出す人間のワイドショー思考があるのです。
脳内司会者を変えましょう。
ワイドショーの司会者は導き先が誰かの都合ですが、本当にあるべき姿は万人が本当に納得できるあり方に導ける精神性です。仏教ではそれが菩提心です。
親子が仲悪い、子供が険悪だ、関係がうまく行かないなら、菩提心をもってオフィシャルかつ慈悲慈愛あふれる寛容なホトケ目線でどんなに険悪であってもそこからより良い方角を見出すのです。
それが第三の道であり、両極端に偏らない、是非善悪の二極論ではない自由な発想です。
今までは大変お苦しかったと思います。
でも、それも我が子のことを完全に自分のこととしてしまっている所があるのです。
お子さんはお子さん。
あなたはあなた。
一度お互いに独立・分離・出離致しましょう。
それが出家の精神です。
家族であってもそこが徹底されればお互いリスペクトできるのです。
親にとっては困るご性格でも社会に出れば大きな力となる所もあるのです。
応援しております。
質問者からのお礼
丹下覚元 様
ご回答ありがとうございます。
なかなか難しく附に落とせず、申し訳ないのですが…。
「課題の分離が出来ていない」という事でしょうか?
男女問わず、思春期なら社会や親に反発しながら、自分を見つけていくものだと思います。
イライラも当然、言葉がキツくなるのも当然です。
私は都合の良いことはほったらかされ、自分の想いは親にがんじがらめにされ、反抗したら殺されるのでは無いかと思って生きておりましたが、ご縁あって遠方の大学進学をきっかけに家を出、極力距離を置いて生きて参りました。
心の中の自分が叫ぶのです。「あの時、助けて欲しかったんじゃないの?苦しさを聞いて欲しかったんじゃないの?」
勿論、私と息子は別物です。生き方も感じかたも志向も違います。頭では「彼が生きたいようにすれば良い」と思いますが、ふと「私みたいに言えずに困ってるのではないか?」と思ってしまいます。
息子の激昂も恐い反面、感情が出せることを羨ましく思う事もあります。
「子供は親が育てたように育つ」と言われますので、やはりいろいろ見えてしまうと自分の不出来を突きつけられているようで傷付きます。
自分のすべき事を淡々とするのが良いのでしょうが、どうするのが良いのか分かりません。