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寄付する時の気持ちについて

回答数回答 1
有り難し有り難し 29

こんにちは。
私は今恵まれない子たちに月3000円と
保護された犬猫のために月5000円払っています。
始めた当初はこのお金が良いことに使われたらいいなと思っていました。
でも最近この寄付をすることで自分にも良いことがあるといいなと思いはじめました。
例えば宝くじとかギャンブルでいいことあるといいなとか良い商品が手頃な値段で入るといいなとかです。
寄付は善意でするものなのに、途中から自分の願い事のためにやっている自分に悲しみをかんじています。
こんな気持ちで寄付をしていてもいいのでしょうか?
恵まれない子供や犬猫が助かってほしいという気持ちは今もあります。
どう考えれば、どう切り替えていけいいか教えてください


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すごいですね

20代で月々8000円ですか! 伊達にできることではありません。素晴らしいことです。

さて、私もできる範囲で寄附などはしています。また朝が早いので近くの公園の掃除をすることもあります。

その際、下心みたいなものを感じる時もあります。が、それは人間なら誰しもあることです。酷い坊さんやその妻(私ども夫婦の仲人です)などはいろんな善行をやっていますが、ホンネを語らせると(本当に語るので、私が勝手に作った話ではありません)、全部、法螺ンティアと偽善事業です。彼らほどになると売名行為も徹底したものです。でも、人間なら誰しも大なり小なりあなたがお感じになっているようなことを感じながら善行をなしているものと思います。少なくとも私はそうです。

ただ、やっているうちにだんだんそういう意識から解放され、自然にできるようになるもの事実です。自分の裏側や汚いホンネの部分が見えだし、二人の自分のなかで葛藤することもたびたびあります。でもだんだん「こんなことじゃいかんなぁ」とすら思わず、見返りを求める心が軽くなっていくように思います。なくなりはしませんが。

私は子ども食堂の活動に参加しています。リーダーもお寺の住職ですが、彼はもっと自然体でいろんな活動をなさっています。刑務所の教誨師もなさっていますが、受刑者と自分は何の違いもないただの同じ人間です、と言われます。やってみて少しずつ肩の力が抜けていくとそんなふうに見えるようです。

いいことをしているのだからいい見返りがあったらいいな、という思いを正直に表現なさるあなたは立派な方です。多少そんな気持ちがあっても何もしないよりよいことをした方がいいに決まっています。そしてやっていくうちに妙な心もおさまっていきます。何も悩むことはありません。

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