嫌われようとする行動をしてしまった。
自分は学校に通ってた時に精神面ですごく悪くなったことがあり
自分でも制御が上手くいかず、その当時友達だった人に自分から嫌われるような行動をしたことがあります。どのようなことをしたのかは記憶が飛んでいるため思い出すことが難しいのですが、その結果自分は友達がいなくなり一人になってしまいました。
ただ精神面が安定してきたころ、自分は当時の友達と少し遊ぶことになりました。その時に自分が病気だったと告げると「それは違うよ~それはお前の性格だろ?」と言われました。けど自分は本当に病気だったんだと強く言ったら「うわーそういうこと言うんだ...お前を利用して上に上がろうとしてるんだから、これからは俺の言うことを聞けよ」と言われ自分はこれ以上関わってはいけないかもしれないと思い完全に縁を切りました。
その当時のことを最近思い出すようなことがあり、その嫌われることをしてしまったことと悪いことをしてしまったことをひどく後悔しております。
謝るということは基本したほうがいいのですが、怖くてできません。
相手がこちらのことを嫌いになっているのにも関わらず、今更謝っても仕方ないのでは?と思ってしまうのです。
ただこっちが謝りたいという気持ちを相手に押し付けてるだけになるではないかと思ってしまったり、それに謝っても「許す」「許さない」は相手が決めるものなのでどうしようもありません。
だからと言って謝らないということもどうなのかと思ってしまいます。
自分はたぶん相手に許しほしいという気持ちが強いから、もし許してもらえなかったらどうしようと考えすぎてダメになってしまうのかもしれません。
考えがぐちゃぐちゃでもうよくわかんなくなっています。
こういう時に自分はどういう考えをしたらいいのでしょうか?
それと人に悪いことをしてしまっても人を信じたり、愛したり、優しくしたりしてもいいのでしょうか?
長文になってしまって申し訳ありません。
お返事お待ちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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徳孤ならず 必ず隣有り
精神的な病の時に、無意識的に大切な人に攻撃的な言葉を言ってしまう事があるという話は聞いたことがあります。あなたの話は本当だと思います。謝ったのにあなたの病気の症状につけこんで「これからは俺の言うことを聞けよ」などと言うような人は友達ではありません。完全に縁を切りましょう。今後謝りなおす必要もないです。謝っても相手をつけあがらせるだけです。
謝って許してくれた人もいたでしょう?謝ってきちんと許してくれる人が真の友達といえます。またこれからあなたが生きていく中で、相手に傷つけられるような事があると思います。そのような時は是非許しましょう。お互い許し合うことで信頼関係が生まれるものと思います。
「有隣堂」という書店をご存じでしょうか?この書店の名前の由来は、論語の「徳孤ならず 必ず隣有り」からきているそうです。「徳孤ならず 必ず隣有り」とは「徳を身につけた人は、ずっとひとりぼっちということはない。必ず身近に、慕い、理解してくれる人が現れるものだ。」という意味です。
「徳を身につけた人」とは、思いやりのこころや品のある行動や考え方ができる人といった意味です。約束を守り、あなたのように悪いことをしたら謝ることのできる人の事です。人を信じ、愛し、優しくすることによって善い仲間を増やしていきましょう。
質問者からのお礼
光禪さん質問に回答してくれてありがとうございます。
確かに質問で書いた友達だった人は陰で人の悪口や自分のほうが上だと心の中で人を見下す傾向があるお方です。それを隠すのがうまい人だったということを質問してから冷静に整理して分かりました。でも病気だったと言っても許してくれた人はいませんでした。
相手に傷つけられるときも確かにこれから生きていけばあるかもしれませんのでその時は相手のことを許していこうと思います。
それとこれからは人を信じ、愛し、優しくして行こうと思います。
本当にご質問に回答してくれてありがとうございました。