友達と大喧嘩しました
最近出来た友達と大喧嘩しました
出会ってまだ数カ月ですが
その間に友達の事故やわたしの体調不良等いろいろありました
まず、わたし自身様々な問題や事情を抱えているのですが
友達にいきなり今の自分の現状だけを伝えてもわかってもらえるのか?
という気持ちがあったので
そこに至るまでの過去の出来事や経緯、事情を少しずつ話していこうと思い
話の合間に時々話すようにしていました
それは友達がわたしの置かれている現状が良くない事をかいつまんで知っていて
少しずつ変えていこうと提案してくれたからです
先日、わたしの過去のトラウマである父の話を少し出したら
「もうその話いいわ。」と言って
友達に話を切られました
その時に「ん?」とは思ったのですが
聞きたくなかったのかなと思い
少し距離を置いて、過去の話は控えるようにしました
しかし、友達の怪我の話になった時に
健康の話題になり、わたしが過去に強姦のような経験がある事も話していて
その時に病気をもらい、いまだに治らず苦しいという事も伝えていて
いまだにその事を後悔していると話したら
「でも、お前も悪いよな」と言われました
正直、「え?」と思ってしまいました。
その時のわたしの状況を話すと、勇気を出して相手に断っているのに
しつこく迫られ続け、わたしはPTSDがあるのですが
次第に過去に受けた父のDVがフラッシュバックしてしまい
最終的に恐怖から同意せざるを得ませんでした。
わたしは心は女性で、体は男性に生まれてしまったため
普通に生きていて、男性と出会う場がなかったため
出会いを求めてゲイの人の集まる場に行ってしまいそこはわたしも悪かったと思っています
しかし、そうしないと出会いがなかった事も伝えると
「それ。そこ変えないとダメなんじゃない?何かそういう話になると独りよがりだよな」と言われ
わたしも頭にきてしまいました
ここ数カ月、友達が事故に遭って辛い時も、事故でスマホのデータが飛んですごく落ち込んでいた時もわたしは友達の気持ちに寄り添い、出来る限りの事はしてきたつもりです
しかし、わたしが辛い時は「もういい」と話を切られてしまったり
「お前も悪い」と言われてしまったら
そこで話が終わってしまうわけですが
その事を友達に伝えても何を言われているのか理解出来ないようでした
この出来事ってどう考えたらいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の内側で何をどんな風にアウトプットしているのかを学ぶ
あの人がどうしたこうしたと心を苦しめるのは自分。
友達がどうしたこうしたと心を苦しめるのも自分。
お父さんがトラウマでと心を苦しめるのもわが心。
心のアクションの内容を見てみましょう。
事案の事ではありません。
心の運転の仕方が聞いてる側もつらいはずです。そして一番つらいのはあなたなはずです。他の人たちもどうすればよいかわからなかったのかもしれません。内容がヘビーだったり、そこから助けになれないもどかしさであったり、あなたの心をより良い方向へ導く力がうまく発動できなかったのかもしれません。
いずれにせよ、その時も含め、数々の思い返し、ここで記されていること、おおよそ自分を苦しめることをやっているばかりじゃないか?とお気づきを頂きたいと思います。
悩むということは、建設的に悩むのであるならばともかく、悩んで答えが見つけ出せないままでいるとするならば、なんという益無き時間の過ごし方をされてしまっていることでしょうか。
だから、進む方向性を自分が救われる方向を目指す、そういう人物たちと接する、違う楽しみや快楽を求める人たちであるならば、それは方向性が違う。
・自分が心の中で動き回っていることはどういう動作か?
👉自分を苦しめる心の運転法をしていないか?
車であるならば、そんなに車体やエンジンに負担のある運転法をするべきではないよ、と。
だから仏教では発心、菩提心を起こすべきことを説くのです。
迷い苦しみ多き人生の中で、本当にどこに向かって進めばよいか?
この秋の時期の運動会だってゴールはちゃんと定まっているはずです。
大人になれば、ゴールは誰も教えてくれはしないかもしれませんが、仏、すなわち覚者、人間の真実の姿を明らかにされた聡明な賢者たちはみなその心の進むべき方向性を明確に指示して下さっております。誰であってもそのように心の進むべき方向を見誤ることなく、正しく進むことでみな救われることができるのであります。
自分の上ではこれが良いだろう、これで正しいはずだと悩んでいる。ところが実際、それをやった結果どうなったのか?救われていないはずでしょう。それは料理であれば友達と食べる際にせっかくの素材を間違った調理法をして焦がしたり台無しにしてしまうようなものでしょう。
これ以上自分を苦しめる思考や心の運転法を離れて、自分も相手も良くなる道を歩んでください。