不安をなくすには
わたしは今フリーターでアルバイトしてるのですが、仕事ができなくて周りにあまり良く思われていないようです。
空気は読めず、要領は悪く、作業は遅く、自分で判断するのが苦手です。
自分は普通の人より能力が劣っているなと感じます。
仕事に行くと人目が気になって仕方ありません。今こうすべきなのかな、でもそうしたらこう思われるかな、間違ってたらどうしようと人の顔色ばかり伺ってしまいます。
休みの日でも次のバイトの日がこわくて不安になります。
ダメでもダメなりにがんばろう、とやってきましたが、最近はなんで普通になるために頑張らなきゃならないんだ、と思ってしまいます。
自分のこういう考えが上手くいかない原因なのかもしれません。
自分でも子供だな、自分に責任も持ててないな、甘えてばかりだな、とわかっています。
自分のことばかりで周りのことを考える余裕がないです。
やはり、不安を解消するには自分を変えるしかないのでしょうか?
どうすればもっと心穏やかに生きられるのでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「慣れなあかんけど、慣れたらあかんのや」
”今こうすべきなのかな”
”でもそうしたらこう思われるかな”
”間違ってたらどうしよう”
仕事をするにあたって、この気持ちをなくしたら逆にアウトだよ。
浄土真宗の最もよく読まれる『正信偈』というお経があります。これは、プロのお坊さんとしては暗唱できるようにしておかなければなりません。私は若い頃、何度も何度も稽古して完璧な暗唱に成功し、自信満々に「正信偈を完璧に覚えました!!」と師匠に言いました。すると師匠は、「ほう、もう覚えたんか?大したもんやな。ほな、ここに書いてみぃな。」と仰った。さすがに何も見ずに書けるわけもなく。ちょっと暗唱できようになっただけで何か『正信偈』を極めたような気になっていた私の天狗の鼻は、見事にへし折られました。以来、住職になって十年以上経った今日に至るまで、どんなに短い簡単な偈文でも、私は慢心を捨ててきちんと勤行本を手にしながらお勤めするようにしています。
「慣れなあかんけど、慣れたらあかんのや」
あの日、あのあとに付け加えられた恩師の言葉が、未だに胸に刺さります。どうか、あなたもその”不安”を大切に温めて続けて下さい。その不安が、自信の無さが、慎重さが、臆病さが、きっとあなたを育ててくれます。