アイデンティティーの確立で悩んでいます。
ふとした瞬間に「私って何なんだろう」と思うことがあります。
「自己同一性」で検索すると、
“「自分は何者か」「自分はどんな人生を歩みたいか」「自分はどんな仕事がしたいのか」「自分の趣味は何か」「自分はどうして生きているのか」といった問いを通して、自分自身を形成していく”
という文章が出てきました。この問いのすべてに、私ははっきりとした答えを出すことができません。
寝て起きると、昨日とまったく違うことを考えている自分がいます。昨日は腹を立てていたことが今日はまったく気にならなくなっていたり、逆に何ともなかったことが妙に気に障ったりします。5分前の自分と、今の自分が同じ人間だという確信が持てません。明日の私はこんなことで悩んでいないと思います。
今一緒に働いている人は良い人ばかりですが、仕事にやりがいはないです。ただ来た仕事を淡々とこなすだけで、「職人肌だね」と褒められることはありますが、楽しくはありません。また、吹けば飛ぶような会社なので、10年後同じ仕事をしているとも思えません。誰でもできる仕事ですが、いわゆるクリエイター職なので、「何者かにならなければならない」という焦燥感に駆られます。ですが、空っぽな人間なので、焦って空回って疲れて眠って終わり、という日々です。「何者かになる必要なんてない」「私は空っぽじゃない」と言い聞かせても、いつの間にかぐるぐる考えてしまいます。
「好きなことくらいあるでしょう」と周りは言います。確かに《今》好きなものはあります。ただ「本当に?」と自問すると、本当に好きかどうか分からなくなります。子どものときからとにかく飽き性で、諦めが早く、いろんな物事に手を出してはさっさと放り出す癖があります。しかも、一度興味を失くすと、ほとんど見向きもしなくなります。
人生の目標もありません。子どもが欲しいとは思っていませんし、そもそも結婚願望がなく、誰かとお付き合いする気力もありません。友だち付き合いも希薄です。
好きなものを見つけたい、ない、やりたいことをやりたい、できない、やらなければならない、やりたくない、やりたい、できるわけない、そんなことばかり考えています。何から手をつければよいかも分かりません。もしかしたら私は恵まれているから、現状に甘えてるだけなのでしょうか。自分のことが分かりません。そろそろ発狂しそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏願に随順する【真仏弟子】
めっちゃくちゃイイご質問、ありがとうございます。
私も若い頃は、アイデンティティーについて随分悩んだものです。
私が小学生の頃、世の中ではバブル経済が崩壊し、就職氷河期などという言葉が日本中を席巻し、一流大学を出ても、そう大した看板にはならないと聞かされました。15才の頃、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしました。あのときの霞が関の地獄絵図は、リアルタイムで報道を見ていました。17才の頃、超一流企業だった山一證券が破綻し、神戸児童殺傷事件が起きました。これで後に逮捕されることになる酒鬼薔薇聖斗と名乗る当時14才の少年Aが書いた神戸新聞社に送りつけた挑戦状にあった「こんな透明な存在であるボクを造り出した義務教育」という文言を見て、これは決して他人事ではないと思い震え上がったものです。世の中、どうなってしまうんだろう。俺は大人になれるのか?俺は誰になればいい?どうなることを求められているんだ?このまま社会に投げ出されて、果たして無事に生きていけるのだろうかと、もう不安で不安で仕方がなかったのを今でも覚えています。
私の場合は紆余曲折を経て、南無阿弥陀仏という称名念仏によって【仏弟子】としてのアイデンティティーを獲得しました。ついでに職業までガチの坊さんになってしまいましたが、別に袈裟を外して他の立場で、どこで何をしていても、「私」という存在は、念仏によって極楽往生が決定した者、つまり【仏弟子】としてのアイデンティティーがその大前提となりました。しかもこれは【摂取不捨の利益】ゆえ、どんなことがあっても、たとえ僧籍を剥奪されたとしても絶対に変質しません。
せっかく坊さんに尋ねたんだ、あなたにもぜひ仏弟子としてのアイデンティティーが具わることを祈っているよ。拝
質問者からのお礼
ありがとうございました。