人生の選択
初めての質問です。
日々お忙しい中すみません。つたない文章ですが、読んでくださるとうれしいです。
私は今大学受験を控えています。美術系の大学を受けるために日々努力しています。
勿論絵を描くのは好きなのですが、気持ちが足りないせいかあまり夢中になって取り組めず、思うように結果が出ません。
もう、『才能が無い』と割りきって、諦めた方が良いのでしょうか。
しかし、今まで周りの事に無関心だった私は、色んな事に挑戦したり新しいことに取り組む事をしてきませんでした。
だからか、私に出来ることが絵を描くことしか残されていません。私から絵を描くことを取ったら、ほぼ将来への道が閉ざされてしまうのです。それに、今までしてきたことは何だったのか、と自己嫌悪に陥ってしまいます……。
『ほぼ』というのは、他にも興味のあることはあるにはあるので、いっそのこと、そっち方面に路線を変えた方が良いのではないか、と思ってきたからです。
人生、間違った選択をしてしまったためにそのあとずっと苦しむ様なことはなるべくしたくありません。
どんな事が自分に向いていて、合っているのかまだ分からないのです。
苦しんででも1度決めた道を突き進んだ方が良いのか、諦めて比較的楽しく過ごせるであろう方に進んだ方が良いのか、どちらが良いのか悩んでいます。
合っている道=楽しい ではないのかもしれませんが、今の私には何が正しいのかわからないのです。正しい答えなんてないのかもしれませんが。
長々とすみません。へんてこな文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。喝やアドバイス、もらえると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で未来設計の絵を描け
良いのですか?そんなこと質問されたら自分の夢に執着するな、与えられた世界で精一杯に生きろという回答しちゃいますよ?良いのですか?…と、いうのは冗談に留めておく努力をしまして(未練タラタラ)
さて、気持ちが足りないせいかあまり夢中になって取り組めず、思うように結果が出ないのに、他の方面に路線を変えて頑張ろうと?いや、そりゃ矛盾ですわ。違う方面に行ってもそのうち気持ちが足りないせいかあまり夢中になって取り組めず、思うように結果が出なくなるだけですわ。
そして美大に行ったとしても絵だけやってりゃ良いわけでもありません。私なんか全心全霊でゲームしてたらhasunoha回答(仏教)に活きましたわ。
でも、それだって10年前から明確なビジョンを持って始めたことです。当時、電車男という現象が起き、ネットを介した人間関係の場が出来つつあることを実感しました。あるいは別件で自分で電車に乗っても、隣の席の人ではなく、10kmや100km、1000km離れた知人と繋がっている時代が到来しました。ネットの普及で人と人との繋がりが希薄になったのではなく、繋がりの場が替わり始めた時代でした。
にも関わらずモラルの形成はリアルでの育ちだけに依存し、そして匿名のネット社会では人の暗い部分が出やすい。これは莫大な苦を生む…お坊さんこそ、そこに介入しないといけない…そう確信して10年前にネトゲやQ&Aを始めたのです。ゲームの攻略wikiの雑談所で高校生に敬語の大切さを説いたこともあります。
そうやって多方面に攻めるからこそ本業が活きるということもあるのですよ。恋愛を知らない人に恋に苦悶する女性は描けないでしょう?それと同じ。
人は夢の道を進めないから苦しむのではありません。本当は360度どこに行くも自由なのに、これしかないと執着するから苦しむのです。360度自由だからこそ、計画と勝算を見出す努力をしなされ。逃げるモチベーションで選んだ道は自己嫌悪に向かいます。攻めるモチベーションで道を選ぶのです。
※美大行けとも一般大行けとも言っていません。そんな選択の責任は負いませんからね☆
いろいろ試してみてください
私のことを書きますが、私は高校途中から美術系に変更しました。地元の男子校の進学校でしたから坊さんの大学に進むもの周りは見ていましたが、前々から絵画やデザインに興味があり高校3年から途中変更しました。興味もあったのですが、その前に私は目の前の現実つまりお寺から逃げ出したかったのも本当の理由です。私は子供の頃お寺の生まれていじめにも遭いましたし、中学校も半分位しか行けませんでした。ひたすら絵を描いている時は素のままの自分に戻ることができたようにも思います。その後予備校に通い美大に入りましたが、今まで私が会わなかった多くの人に出会い友人もできました。美大ではあまり勉強せずにひたすら学園祭の実行委員として活動し、自分なりに充実した時間を過ごすことができました。その後何より嫌なお坊さんの修行を足かけ3年やりました。本当に嫌でした。その後に海外に出て、その後建築設計・デザインの仕事につき、サラリーマンになり約15年程勤めて、父が亡くなった為に自分のお寺に戻ってきました。結果から申しますとどんなことも無駄ではないということです。今自分が生きている何かの役に立つことばかりです。様々に選択ミスもありますがそれも含めて全てが学びの場であり、自分を成長させてくれることです。これからの人生で多くの迷いが生じて失敗もあり挫折もあり苦しみもます。同様に充実や成長や喜びもあります。どうぞ自分の心に正直に怖がらずに少しずつ前に進んで頂きたいと思います。あなたのこれからの新たな挑戦や出会いが実り多きものであります様こころよりお祈り申し上げます。またこころより応援申し上げます!\(^o^)/
自ら選んだ道を精一杯生きること。
はじめまして。亀山純史と申します。
人生を終えるまで、何が間違った選択であったかはわかりません。大切なのは、選んだ道を精一杯生きることだと思っています。もちろん、その道を軌道修正することもあるでしょう。でもそれは決して遠回りの道ではないはずです。
歌手のさだまさしさんは、芸術系への受験に失敗をしました。あるいは全国各地でサイエンスショーを開いている米村でんじろうさんは、3浪の後に大学へ進学しています。どちらの方も、入試に失敗した時には、これからの人生はどうなるのだろうか、と思ったことでしょう。しかし、彼らが入試に失敗していなかったら、今よりも輝かしい人生が、彼らに待っていたかどうかはわかりません。
いずれにしても、決めるのはあなた自身です。
最後に一言。芸術はそれぞれの作品を通して、私たちにメッセージを伝えるものです。ですから、絵が上手に描ければそれで良いわけではありません。上辺だけの技巧に走ってはいけません。是非、多くのことに関心を持ち、心豊かな人になってください。(これは、あなたが芸術系への進学をするしないに関わらず、大切なことです。)
以上が私からの回答です。少しでも参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
回答、ありがとうございます。回答を読み、張り詰め過ぎた気持ちが少し軽くなりました。本当にありがとうございます。
大慈様
『本当は360°自由』という言葉にはっとしました。そうですよね、自由なはずでした。確かに、少しマイナス方面に執着し過ぎていたかもしれません。逃げではなく、攻めの気持ちでこれからを選び進んでいきたいです。
kousyo Kuuyo Azuma様
別な選択をしても、逆にその選択をしたからこそ学べることもありますよね。気づかされました。『どんなことも無駄ではない。全てが学びの場』気にとめておきます。
亀山純史様
頭がカチカチになっていました。自分の中の引き出しというか、タンスはあるのに中身は空っぽの様な状態だったかもしれません。今からでも、もっと周りを見て、色々なものに興味をもって、経験していきたいです。