離別の苦しみに耐えられません。
はじめまして。どう気持ちを落ち着かせればいいか分からなくなり、誰かの意見を聞きたいです。
私が悩んでいる問題は元彼と父親の存在です。離別の苦しみに耐えられません。
1年前に3歳年下の彼に振られました。
私は彼に執着していました。
当時、このままではいけないと思いながら付き合っていた状態です。お互い自立できない関係でした。そんな状態でも、彼と何とか関係を修復しようと、「会話がしたい」と何度もお願いしましたが、気持ちが通いませんでした。私は泣き虫でした。気持ちの表現の仕方が不器用でした。彼にとって負担だったろうと思います。結果、彼は私と別れて1年間留学をしました。都合のいいタイミングだったのかなと思います。
この1年、じっくりと自分を見つめ直しました。連絡は一切しません。しかし、もう二度と会わないと心に決めながら、どこか期待してしまう、とてもとても弱い私がいます。
どうして、ここまで他人に執着してしまうのか。原因は寂しさからです。慣れない孤独からです。
小学2年生の頃、父親がある日突然いなくなりました。 母は仕事で海外にいると言っていましたが、死んだのだろうと気付き始めました。
20歳の頃、母と大ゲンカの際、父は病気で死んだと言われました。
しかし、今年、母とふとした会話から、父親の本当の死の原因は自殺だと知りました。 家族の中で私だけが知らずに26年間生きてきました。
私の心のわだかまりは、この真実だったかもしれません。不器用でも、優しくて、活発だった父親。大好きでした。父は自ら命を断つくらい、とても寂しかったのでしょうか。
また、私自身、寂しさから男性を望んでしまいます。誰かが自分の元を去ることに、とても抵抗があります。
けれど、このままではいけないと。1人で生きることを決意しなければと、孤独がドクドクと心臓を打つのを感じています。
1年後、留学から帰ってきた元彼は、他の女性と楽しそうに一緒に歩いていました。親密そうに見えて、 心が張り裂けました。どうしようと、思うままに、1人で泣くしかありません。
二度と一緒になれない、なってはいけないと肝に命じているのですが。
後少しで卒業です。勉強に集中できません。
どうか、孤独と一緒に上手く生きていくために、何か、言葉を拝見したく思います。生き抜きたいと思っています。
長文申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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孤独でないことを感じるでしょう
あじさい 様 相談ありがとうございます。
小学校2年生の頃にお父さんがいなくなって、寂しさがいつの間にか心に宿ったのでしょうか?寂しさが元彼を忘れなくさせているかもしれませんね。
でも、そんなに悩まないで、苦しまないで。
「孤独と一緒に上手く生きていく・・・」と思い過ぎないで。
寂しさや孤独感。24時間ずっと感じているわけではないでしょう。
たとえ感じていても、感じ方が多い時もあれば少ない時があるでしょう。
感じ方が少ない時や、感じなかった時は何をしている時でしょうか?
「工芸関係の仕事に・・・」とありますから、何か物を作っている時でしょうか?
趣味に没頭しているときでしょうか?
好きなものを食べている時でしょうか?
スポーツをテレビで見ている時でしょうか?
私にはわかりませんが、何かしら孤独や寂しさを感じにくい時があると思います。
そこにヒントが隠されていると思います。
その時、何をしていました。どんな感覚でした。目で見ていたものは何?
もしかしたら何かの良い匂いも感じていたかもしれませんね。
どんな雰囲気でした?
その状態、状況をよく覚えて、いつでも心の中で描けるように練習をして、
集中して、リラックスして、孤独や寂しさを追いやるという事が出来ると思います。
さらに、お父様をあなたの記憶から呼び起こしましょう。
忘れていたお父様のぬくもり・暖かさを!
大きな手や体を思い出すかもしれません。明るい声。
そして、幼いあじさい様を見守る優しい眼と笑顔を思い出すかもしれません。
その思い出されたお父様の感覚が、寂しさを打ち消してくれるかもしれません。
そうです、あじさい様は孤独ではなく、お父様にいつも見守られている状態なのかもしれません。
思い出されたお父様に「ありがとう」を伝えらえるようならば、心の中でつぶやいて伝えてみてください。
暖かく見守られてることを意識すれば、ずっと孤独でないことを感じるでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
参考までに
一礼
質問者からのお礼
釋 孝修様
お言葉ありがとうございます。いつも考えが巡って頭が沸騰していたので、助かりました。孤独から一歩離れることをしなければ、飲み込まれてしまいそうで、怖いという気持ちがありました。
伝統工芸品をめでること、それこそ歴史や神社仏閣が好きなのですが、それに対する自分の感覚に意識を向けて輪郭をはっきりとさせたことはなかったです。そうですね、何か見つけることが出来るかもしれません。
父の記憶は、ほとんど感覚が無くなりましたが、確かに生きていた人です。父に対する想いはまだ少し複雑ですが、生きてくれていたら、労ってあげたかっです。でも、父なりに精一杯生きたんだと、私に対する思いやりも精一杯あります。まだ見守ってくれているのかなぁ。父には、すみません、ありがとうの気持ちです。
今は私自身まだ弱いですが、私も誰かのために生きていける人になりたいです。
お忙しいなか、ご相談にお答えいただき本当にありがとうございます。