友達がいないのは悪いことですか?
一応社会人として組織に属して働いており、仕事を円滑に行うための人間関係はお蔭様で人並みに構築できています。
ただ、プライベートとなると、習い事の先生はやはり先生ですし、親は親ですし、友達と思えるような人がいません。
小学校からの旧友はいましたが、長く疎遠であったこともあり、結婚出産して専業主婦となった彼女(達)と話しても、お互い心を寄せられず、もはや「旧・友達」から先は何も蘇りません。
高校の友人もそうでした。
大学も。
社会人になって、仕事に打ち込んできましたが、その中でできる人間関係は時に深く関わりを持つこともありますが、上司部下、先輩後輩、同期・同僚といった前提でのことです。
同期は私以外皆結婚しており、配偶者の話題、子供の話題、家のローンの話、親戚付き合いの話などで盛り上がり、交流は成立していません。そもそもそれがなくとも、彼らと時間を共にしたいという気持ちが自分の中にないので、ただただ気まずくて苦痛な時間です。
上司や先輩と、人生や仕事の目的や戦略について語らうことのほうがずっと情熱が湧くのですが、やはり何ら大義がないのに関わるのは限度があるような、友達とは違ったもののように感じます。上司・先輩方が皆既婚者の異性ということもあり、あまり個人的に付き合うわけにもいきません。
数年来、自分は友達がいなくて寂しい人間だなぁとは思うのですが、具体的に誰かについて友達になれそうだとか、なりたいとか、思わないのです。
心が折れ求めもしないのに接近して、友達であるような演技をするのも失礼な話であり、また無味乾燥な気がします。
人間関係に煩わされることがなくて、孤独というのも悪いことばかりではないし、この人という人が現れたら大切に縁を深められたらいいのではないかなとも思います。
(出産可能年齢という制約に違いはありますが)結婚相手を探すことについても似たような感覚でいます。
これは悪いことでしょうか?
見栄っぱりです。見栄っぱりであることを受け入れてる自分を使ってさらに身を守ろうとします。 肩に力を込めていないといけない。子どもの頃から「良い子」で「優秀」でした。今もその延長にいます。
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悪い事ではないと思います
こんばんは。お気持ちとてもわかります。私も同じような境遇にあり(違うところは私には人生や仕事の目的や戦略について語らう相手すらいません)、よく似た気持ちでいます。そのことで特に不便もありません。
あなたのおっしゃるとおり「この人という人が現れたら大切に縁を深められたらいいのではないか」という気持ちでいらっしゃれば良いと思います。
それに孤独と思っていても、実は様々なご縁の中で生きているんですよね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
我ながら勝手なもので、これでいいのではないか…と落ち着いたり、行楽シーズンの連休になるとどこへ行っても夫婦・恋人・友達と楽しそうに過ごす人がいて羨ましく寂しい気持ちになり、では友達や彼氏を探すかというと、なんかそうではないんだよなという心の中のしこりが気になり、悩み苦しみ、そしてやっぱり、無理に「友達」や「彼氏」を形だけ整えても楽しくないという原点に戻ってきて、だからこれでいいんだよなぁ…と年間を通じてぐるぐる回っております。それは、きっと分かっていても寂しいからなのですが、これほどに飢えていたら縁あって巡り会える人たちを大切にできるような気がします。
(でも今は寂しいのです)寂しさの中で腐らず凛と美しくありたいです。
お言葉を支えにまた姿勢を正してみます。ありがとうございます。