母の死の後悔
今週月曜日に心筋梗塞による心不全で母が亡くなりました。
母は、要介護2で、ある程度家の中を歩くことはできましたが、軽い認知症でした。私は、腎臓病でこのままだと透析と医者に言われている状態もあったのですが、ここ数か月、私自身会社を退職し、母の面倒を見ながら、自分の腎臓の温存療法中でした。そのため母には、何かできない事があると、しっかりして、透析になったら面倒見れないよ。などと言って、喧嘩することもありました。
日曜には、そのことが母の頭にあったのか、洗濯を自分で行おうとして、紙パンツを洗濯機で洗ってしまい、洗濯機を壊してしまい、その事で母をかなり叱咤してしまいました。
亡くなる当日、珍しく私が起きて食事を作っていると、痛み止めが欲しいと私の所まで来て「痛み止めがないか」と薬を欲しがりました。土曜には法事があり、日帰りで横浜、前橋を往復したのですが、その影響で、腹痛、背中痛が起きたのだと思っていました。(今思えば、かなり痛くて、私が起きるまで我慢していたのかもしれません。)
薬は飲ませましたが、その日、朝食も食べず(いつもの嫌いなものを残す)、食べないなら、今日はゴミの日だから自分で捨ててきてと喧嘩をしてしまい、母を責めてしまいました。デイサービスの迎えの時も、行きたがらなかったようで、半ば無理やり、デイに行ったようです。午後、調子が悪いようでと連絡があり、車で迎えに行き、そのまま近くの診療所へ行きましたが、駐車場から診療所まで歩くのも痛い痛いと言いながら診察したのですが、診察後、待合室でか細い声で、痛いよ痛いよと言いながら、うずくまってしまい、動かなくなってしまいました。その後救急車で救急病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。
前日の私の行いや、当日の態度、診療所に連れて行きながら、気づいてあげる事が出来なかった事、非常に後悔し、苦しいです。母の痛いよ痛いよという声が残って、悲しみがこみ上げてきて、辛いです。
今週末、通夜、告別式ですが、家で安眠している母に、どう接すればいいのでしょうか。
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お念仏おとなえいたしましょう。
こんにちは。わたしも同じく50代です…。やはり、母が老いてきたことを寂しく感じます。
自転車に乗れなくなった、物が持ち上げられなくなった、物忘れする…。仕方ないと思いつつ、悲しい思いが胸に広がります。
そして、「もしかすると、何ともないと思った日に、あるいは何か邪険に扱ってしまった日に、別れを迎えるのかも知れないな」というのは、ふと思うのです。
例えば「あと一年です」と言われたら、いつから優しく接したらいいのか?2年ですと言われたら、この一年は優しくしなくていいのか?
そんな事はありませんね。カウントダウンが始まっても、なお「優しくできない」ときもあるでしょう。ではいつ?「今でしょ」ですよね。
私のいる浄土宗では、「寝る前に、お念仏お称えしなさい。もしそのまま目覚めなければ、生きている最後にお念仏できて往生するでしょう。翌朝、生きながらえたのならば、お念仏の功徳をさらに積むことができるでしょう」という言葉があります。
いつ何時、何が起きるか分からないのがこの世です。「できる時に、できる場所で、できる相手とお念仏」は、この世を過ごす術として、真っ当なものと存じます。
お母さんのご遺体の前で、時の過ぎるまま、お念仏おとなえすることをお勧めします。足が痺れてやめたくなったら、やめればいいです。痛みが引いたら、またやればいいです。「自分が母から貰ったのは何か」を考えつつ行なっては如何でしょうか。
ありがとうの心を。
初めまして、こんにちは。
私の父も、心筋梗塞で約8か月近く介護をし父を看取りました。
父が生前・・親孝行って俺もそうだったけど居なくなってから親のありがたみや、こんな事をしてあげたかったって思うんだよな・・・。
と言っていました。まさに私も亡き妻に対し全く同じ思いでした。
父や妻が、生きていたらこんな事をしたかっただろうな!それを、精一杯生きて出来なかったことをして、幸せに過ごすことが親孝行にもなるし、子どもたちと一緒に笑い時には喧嘩をし・・元気に賑やかに過ごす事が妻への孝行やご供養になるのかな・・?と思っております。
人の世は思いどおりにはならないものです。辛いことも悲しいこともありますが、その経験こそが人を成長させてくれると思っています。
そして、純粋な祈りは時空を超えるとも思います
父がいて、母がいて、私たちがここにいるのです。
お母さまとのこんな事があったよな・・と思い出しながら、ありがとうと手を合わせてくださいませ。
お母さまに・・・
心から合掌 礼拝
あなたらしく、輝く人生を仕合せに歩めますように。
質問者からのお礼
母が亡くなり1週間、本日、葬儀が終わりました。
棺の中の母を見て、涙が止まらなくなりました。
心の中でごめんなさい、ごめんなさいしか言えず、ただただ涙が出てきました。
南無釈迦牟尼仏と唱えながら、お骨を拾いました。
ありがたくお言葉をいただきました(ありがとうございます)が、今の段階でまだ心も落ち着つきません。後悔ばかりです。