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24歳上の悪遊を亡くしデジャブを経験

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有り難し有り難し 10

亡くなった悪友は51歳という若さで単独事故で亡くなりました。
「関係性」
相手には家庭もあり、愛人も数人居るような元気な方でした。愛人ではないが、時間が合えば出かけたり体の関係もあり遊んだりしていた仲でした。
私が再婚して連絡回数が減り1年に3回程になっていた。
何故か久々に連絡を取りたくなりめ連絡先したが返事が無くて、共通の友人に連絡とりたいと話しして伝えておくね!と翌日亡くなりました。

「デジャブ」
そして葬式準備していたら、ふと自分が喪服を着る自分の夢を思い出した。
この姿、手に持っているもの同じでした。この断片的な夢は数カ月前見た夢で何か記憶に残る動物が出ており、目が冷めた後夢占いで調べたので記憶にかすかに残ってました。
その夢占いには、「試練、大切な人が亡くなる」と言う書いてありましたがそんな事あるはずないとスルーした事がありました。

この出来事が気になり調べていたら
ここの仏教の教えをしることになり楽になりましたが、仏教の教えではあり得ないが
私の様な出来事があると、この人の運命は決まっていたんじゃないかと思いました。
私が経験したデジャブのような事は
「なぜ、ひとも特定して事故死する事を見れなかったんだ、」など悔みました。
だか、ここの悟りを読んで
私に対して「試練」がくるよと教えててくれただけでもありがたいと思えるようになりました。

「疑問」
この出来事はデジャブと言うのか、守護霊さんか何かが教えてくれたのでしょうか?
この方は、亡くなる運命が決まっていたんじゃないかと思えましたがどう思われますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

わからないものはわからない

ご相談拝読しました。色々とご縁があった方を亡くされたとのことでお悔やみ申し上げます。

深い関係があった方だからこそ、

・事前に知りたかった
・何かしてあげたかった
・その死に何らかの意味を見出したい

などの思いにかられることはもっもだと思います。

ですが、そうではないかとあなたが思っていらっしゃる運命とか守護霊とかいうものの存在は「絶対にわからない」というのが答えです。その「わからないはずのもの」を「そうだと思う」とするのは「事実」ではなく「自分の思い」です。

ところが「事実」は動きませんが「自分の思い」はその時々の状況・心情でコロコロ変わるから人間は迷うのです。

・こうであってほしい
・こう考えたららく
・これのせい

そのように自分の都合に合わせて考え、一度そう思うとそこから離れられなくなる。ところが状況が変わり都合にあわなくなると自分で思った事に自分が苦しんだり迷ったりすることになる。

だからこそ仏教はそうした「わからない」問題については捨て去り扱わないのです。

わからないものはわからないままに

です。これを「無記(むき)」と言います。

あなたにとって今回のご縁から確かめられる事実は

・大切な人が亡くなった
・それは予測できなかった
・自分の命もいつどうなるかはわからない

などです。それだけでもとても大切な事実であり大きな教えです。

「彼の死について自分の思いで迷う」のでなく、「迷う自分の姿を彼の死という事実から知らされる」。これが仏教の教えです。ベクトルが逆ですね。

そうして亡き人の死からきちんと大事なものを受け止めさせていただくならばその亡き人は残された私にとって仏様(=事実・大切なことに目覚めさせてくれる存在)として見出されるのです。

彼の死が運命であろうとなかろうと、守護霊が教えてくれようとくれまいと、彼の死があなたにうったえかける大きなはたらきは厳然たる事実です。

人は死んで終わりではありません。彼の死から大切な教えをこれからもずっといただくのです。

南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

確かにそうですよね、、、これが人間なのか、。事実が見えなくなり何時までも過去の出来事に理由をつけて悔やんだり責任感じたり…確かに物理的な原因があって亡くなったのに…。
この死を受け止めて同じ事ならないようにしていきたいと考え方変える事ができました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ