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自殺したら地獄行きですか?

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有り難し有り難し 39

自殺したら地獄行きですか?ネットやハスノハでは自殺したら即地獄行きであるという書き込みを見かけます。私は自殺はある意味他殺と取れると思います。またある意味病死とも取れると思います。大切な友人を自殺で亡くしました。その後が心配です。教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

行きません!

生きるのが辛く、
自死以外に道がないと、
思い詰めて自死された方を、
仏さまが放っておくでしょうか?
そういう方だからこそ、
阿弥陀さまの一番のお救いの
目当てだと思いますよ。

必ずお救いがあります。

ただ次にどこへいくのかは、
わかりません。
ご本人のお気持ち次第、
なんだと思います。

ああ、早まったのかな?
別に打開策があったかもしれない、
まわりの方々に
寂しい、悲しい思いをさせて、
申し訳なかった。
みなさんいままでありがとう!
と、仏さまにおすがりするなら、
即座に救われると思います。

しかし、
自死するまえに、
たったいま、この時に、
仏さまのお助けがあるんだと、
信じて、生き抜こうと、
決心する。
その方が、
まわりの方々にご迷惑を
かけることもなく、
またご自身にとっても、
この娑婆世界で、
何か新しい発見や、
出会いを見つけた方が、
よろしいかと思いますよ。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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行先は自分で決めます。

先回も同じようなご質問をされていましたので、多数の先生方からのお話が聞けました。
自殺したら地獄行ですか?についてですが、正直、誰も亡くなった後、戻ってこないので証明の仕様がありませんが、一つ言えることは、死は、肉体が滅びただけのことであり、魂、意識はそのまま継続中です。
苦しくて悲しくて辛くて、死(肉体の破滅)を選んだのは、意識(心)です。その心(思考:考え)で出した答えですから、実は、なにも解決していないと気づくでしょう。又、気づくには時間が掛かるかもしてませんが。
ともあれ、地獄のような思いで死を選んだならば、その状態が続いているでしょう。そのような意味では、地獄なのかもしれません。

反対に幸せに過ごせて感謝の心で、死(肉体の滅び)を迎えたらならば、それは感謝の心(思い)ですから地獄とは言えません。天国とか、浄土とか極楽という状況に近いでしょう。

りこさんが、心配されるのは分かりますが、すべては自分で決めるということであり、誰かが(もちろん神様でもありません)行き先を決めるのではないということです。
友人が、どのような人生を送ったかにより、又、どのような想いで過ごしたかにより決まるのではないでしょうか。でも、この世的な時間の経過は分かりませんが、皆さんの救ってあげたい気持ちは届きます。(それが供養というものでしょう)
ゆえに、単に悲しむのではなく、友人との関係において、許してもらうことは許してもらい、許さないければならないことは許してあげてください。
そして、それは私たちも同じだと言うことです。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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死後、ご遺族が地獄的な暗い心になってしまわないように。

人は死んだらどうなるか。
仏教は子供に向けたわかりやすい説話もあるので死後どこどこへ行くという教えが浸透しているだけで、それが王道の教えという訳ではありません。
「死後、亡くなった人はどうしているだろうか」と思うものですがそれは生きている人の想像です。
サンタさんはいるんだよ、と説いてあげた方が子供には夢が与えられるように方便として説いているのです。
亡くなった人の向かう先が異なるというのは生きている私たちの個人たちを思うその心自体が安楽の心へ向かうかどうか。
慈悲の表現が人によって異なるものと受け止めればいいでしょう。
では、現代的に説けば人は本当は死んだらどうなるか。
本当は「どこかへ行く」という思いを起こしているのは「誰」かと言えばあなた。
死んだ人はどこにも行きません。亡くなっても作用や功績は無くなりません。
その人の荘厳な死という一大事を縁として縁ある人の心がどこへ向かうべきか。
その人間性の向かい先が地獄天国の分かれ道です。
人の心は愛する人が亡き後にさ迷うから死の影響を受けた後の向かい先を地獄ではなく安らかな安穏の境地に向かわせるべきなのです。生きている内も死後であっても宗教的に豊かな心へ向かわせるべきなのです。だから人が死んでもモノと考えるドライな人は家族の死後も心がドライで暗い人のまま。
悪趣に赴くとは故人ばかりではなく関係者も含むのです。
人は自死でも病死でも死すれば死んでしまわれたということがあるばかり。
生前の功績や思い出などの「作用・影響力=霊」は死後もこの世界という死後の世界で作用・歴史・影響力=霊として残る。
だから、あなたもそのモヤモヤした心を人として真っ当な心へ向かうよう心を正しい人間性や知性を持った宗教者によって導かれるべきなのです。
人を死に追いやって平気で生きていられるような人間が増えたらこの世は地獄になる。その地獄のような心やすさんだ世の中を仏心に導くことで初めて成仏、供養となるのです。
よって答えは厳密にはあなたと故人様との関りがまだ不安定で彷徨っているはずでしょう。
その縁が今まさにモヤモヤな地獄に落ちたままでいる。落ちたままにさせておいてはいけないから、その縁を覚者の教え=仏教によって正しく導く。
お互いが成仏できるように自分と世の人の心を正しく導いていくことが残された私たちが故人に対してできる最高の導き、引導です。

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