立て続けに起きてしまった死
2020年の1月4日(土)に最愛の父が亡くなりました。死因は肺癌の治療での免疫力低下に伴う細菌性肺炎でした。何ヶ月も前から癌の治療はしていて、体調も良い日が続いて一時は退院したのですが、年末前に急に肺炎を起こし、そこからはひたすら悪化の道を辿り、当日は看護師の方も予想できないくらい急に亡くなってしまいました。そのため家族は誰一人として付き添ってあげられませんでした。父は12月28(土)に還暦を迎えたばかりで、そこから丁度一週間後の出来事でした。
そして、丁度今から1時間半ほど前に愛犬が亡くなりました。父の死から1週間が経った1月11日(土)に急に呼吸が苦しそな姿を見せ始め、様子を見て悪化するようだったら病院に連れて行こうと思っていたところ、今日の深夜になって急変してしまい、先ほどそのまま息を引き取りました。愛犬も1月5日に10歳を迎えたばかりでした。
父も愛犬も節目の年齢を迎えてから10日もしないうちに亡くなってしまい、さらにその期間がほぼ1週間ということ。愛犬は腰が悪くて寝たきり生活ではあったものの、1月10日(金)まではいつも通り元気に吠えて食事も排便もしていたのに、丁度父の死から1週間が経った日に体調不良になったこと。この立て続けに起きた不幸はただの偶然なのでしょうか?強い疑いがあるわけではないのですが、あまりにもタイミングが悪すぎたので、もやっとした思いがあります。
そして、先ほど愛犬が亡くなった際に母が「あの段ボールの服捨てなきゃ。あれが届いてから2人も亡くなった。」と言っていたことも引っかかりました。この「段ボールの服」とは、5~6年ほど前に亡くなった父の叔母の旦那さんの所有物であった未使用の洋服のことで、父が年末前の肺炎で2度目の入院をした後すぐの時に叔母から「誰も使わないし捨てるのも勿体無いので是非使ってください」と父宛に送られてきたものです。母はこの「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっているというのですが、そういうことは起こり得るんでしょうか?
また、元旦に私が父の代わりに仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことをして、それが原因になってしまったということはあるでしょうか?
長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。
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偶然が重なることもございます
初めまして、こんにちは。
お父様やペットがお亡くなりになられとても言い表せない日々を過ごされている事と存じます。生きとしいきるものは必ず通らなくてはならい道が死です。私も最愛の妻、父の育ての母、祖母を追うように父も亡くなり父の生みの母も追うように亡くなりました。
悲しみから抜け出せない事は当然です。無理に元気になろうとせず愛する家族を思い偲び涙を無理に止めずお過ごしください。そして涙を流したら笑顔にもどってください。
亡くなられた方は、生前愛した方の心に霊魂が入って共に歩んで行きます。お仏壇はあの世と繋がっている電話と一緒です。純粋に祈れば・・側に来てその手を合わせる姿に微笑んで応えてくれます。
笑顔で過ごすことが何よりものご供養です。
目に見えない出来事が世の中にはあります。人は、目に見えることは信じても、見えない出来事にはそうとは行かない事が多いと思います。生前、愛していた品物などには亡き人の思いが入ってしまっている事も御座います。
もしも、頂いたお洋服が気になるのでしたら・・お寺様でお焚き上げをお願いされては如何でしょうか?
お仏壇のお掃除は、逆に善きことです。仏具を磨くことにより様々な仏縁を頂けると思います。ただし、こうしているのだから・・良いことがおきますように!などと欲や見返りを求めてはダメです。仏さまは見返りが嫌いです。
こうだから・・と思ってしまうと、その様な結果になってしまいます。逆に、善きことを思い行動すればおのずと善き結果になるのです。親や友人などから頂いたご恩は生きている今、周りなどに出来ることをしてご恩を返すことが恩返しだと思って実行させて頂いています。徳を積むといったことにも当てはまると思っています。
宿命は変えられないですが、運命や人生はいくらでも変えられます。
お父様と愛犬に心から・・・
南無大師遍照金剛
合掌
あなたらしく希望の人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように。
不安は大切な促し。不安の深さが関係の深さ。
ご相談拝読しました。最愛のお父様、さらには愛犬のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
今は突然の死の事実が受けとめきれず、悲しみと混乱のさなかにあることと思います。
そのような中で様々な思いが駆け巡ることは当然です。
ご心配の
>「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっている
>仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことを
ということはありません。仏教は因果の道理を説きます。物事には原因があって結果があるということです。原因と結果の因果関係が結ばれないものは別々の現象です。
お父様のご命終にはその病気などの原因が、愛犬のご命終にはやはりそれも原因があるということです。その全てを人間の知恵で解明することはできませんが、ご心配の点は冷静になれば明らかに因果関係が結ばれないものです。
それでもそう考えたり不安になってしまうということは、けして何かのせいにしたいということが主たる目的なのではなく、それほどまでその死が受け入れがたいということ。つまりはその存在が余りにも大きく大切なものであったということなのだと思います。
その悲しみや苦しみの深さがあなたとお父様、そして愛犬との関係の深さです。
その関係の深さは悲しみや苦しみという促しとなってあなたを命の事実に目覚めさせようとはたらきかけます。
そのはたらきが、命を終えて姿形は卒業したけれども、今度は姿形を超えてあなたとともにあり続ける存在と成った命との出会い直しです。そうした存在を私たち仏教徒は仏様と讃えます。
亡き人が夢枕に立つとか、不思議な現象で知らせてくるということでなく、その命の終わりという大きな事実となってこれからも残された者にはたらきかけ促し続けるということです。
供養を通して手を合わせ、亡き存在とそうして出会い直しをいただくならば、命はけして死んで終わりではありません。そう受け止められた時、自分もまた死んで終わりではない命を今生きてることに目覚めます。その目覚めがあってはじめて自分の命の尊厳に気がつくのではないでしょうか。
死んで終わりの命ならば不安であり、その生は虚しいものになってしまいます。お父様も愛犬もあなたがあなたの命の真実に目覚めることを願っています。
今お感じのモヤモヤや不安は大切な亡き存在からの促しなのです。どうかゆっくりと受け止めてください。
それぞれに天寿を全うなさったのです
拝読させて頂きました。
あなたが不安に思うような直接的な因果関係はおそらくはないと思います。私達の計り知れないところであまたのご縁はつながっていますが、それぞれのめぐりあわせではないでしょうか。
お父様がお亡くなりなられたのも天寿を全うなされたのかと思います。またワンちゃんがお亡くなりになられたのも天寿を全うする時が来たのかと思います。それぞれの生命は与えられ育まれて様々な巡りあわせやご縁のつながりの中で生き抜いてその天寿を全うなさっていかれるのです。
どうかお父様がこれから仏様に救われて親しい方々やご先祖様方に優しく迎えて頂いてこころから安らかになります様に、そして安らかにご成仏なさいます様にと切に仏様にお願いなさりこころを込めてご供養なさって下さいね。
同じようにワンちゃんが仏様に導かれて仏様のもとでこころ安らかになります様にと仏様にお願いしご供養なさって下さいね。
お父様もワンちゃんも必ず仏様のもとで安心なさってくださり、皆さんと一緒に何の憂いもなく円満にご成仏なさって下さるでしょう。
そしてこれからも仲良くあなたや皆さんを見守っていて下さるでしょう。
あなたはこれからもお父様やワンちゃんやご先祖様方とのご縁を大切になさって下さいね。そして朝起きたらお仏壇にお向き合いなさりお父様やワンちゃんやご先祖様方にこころからご挨拶なさり、真心こめてご供養なさって下さいね。
いつでもお父様やワンちゃんやご先祖様方はあなたに寄り添い支え守っていて下さいます。
洋服のことは気になさることはありません。そしてお仏壇はこれからもお掃除なさって下さいね。きっと仏様もご先祖様もお父様もお喜びなさるでしょうからね。