強い想いを持ち続けること
想い人との関係がうまく行かなくなってから、心身が言うことを聞いてくれません。
ずっと心の中に鉛が入っているようで感情が動かないのです。早朝に目が覚めてしまい、寝不足も続いています。
色々な方々への相談や、趣味、旅、新たに打ち込める事探しへのチャレンジ(仏教の勉強もその一つです)を通して、
一時的には晴れやかになるものの、結局は重い心に戻ってきてしまいます。
「あいつの為に生きている」と思えればいくらでもパワーは湧いて来るはずですし、ご縁あって願いが叶った暁には、仏様やご先祖様をはじめ、全ての関係する人々に恥じる事なく彼女を世界で一番幸せにするという自負を持っています。
彼女は今、別の男性とのお話を進めていますから、説明すべき所、謝るべき所には私が前面に立ち、大事な人を守る覚悟です。
しかしSNSのブロックなど連絡もままならず、拒絶されているという現状があり、希望は風前の灯火の状態です。
家族には「恨めるなら楽になるのに」等と言われましたが、返しきれない程のご恩があり、人間として大好きなかけがえない彼女にそんな感情を抱くことなど到底できません。また、誰かが悲しむ、苦しむ結果も望んでいません。
最後まで願いが叶うのを信じて動き続けたい、自分の力を試したいとの気持ちでおりますが、一向に光が見えず、不安も大きくなっています。
そんな状況で自分の意志を貫き続け、神仏にお祈りしたり、共通の知人に私の心の内を知ってもらうのは無駄なことでしょうか。
hasunohaのお坊さん方には何度もお世話になり申し訳ありません。どうか今一度、喝を入れてください。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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典型的な煩悩ですな。
こんばんは。何やら文学に出てきそうな問いかけ、非常にドラマチックな人生を送っているようですね。眩しいほどです。
しかし恐れながら申し上げますが、「若いうちに、そういう人に出会えて良かったですね」という話です、僕から見ると。何も自分を偉大だと言っているのではありません。そんな全力を傾けられるお相手に巡り会えたこと、幸せだと羨んでいると言ってもいい。
だけどね、きっとご縁がないのです彼女とは。つまり、夫婦になるというご縁は。拘ってこだわり抜いて、そして手放す。それが潔い人間を育てます。カラッとした爽やかな人間を作るのです。
明らめる、諦めるというのが智慧の本質です。「頑張れば何でもできる」というのは馬の人参、食べることはできないのですよ。
質問のタイトル「強い思いを持ち続けること」、それをあなたは良いことと信じている。けれども…
それは煩悩なのです。
この間、中学校の時の新年会がありました。当時好意を寄せていた女子が来ました。一緒にお酒も飲み、喋り、楽しい時間を過ごしましたよ。再会するなんて、思ってもいなかったのですが。
質問者からのお礼
佐藤良文様
時間を割いてご回答頂き有り難うございます。
お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした。
頂いたお言葉を噛み締めて、再度自分自身の心と頭を整理し、智恵の本質を明らめる事が出来るよう、努力を続けて参ります。