罪の償い方を教えてください
初めまして
一昨日、人生最大の後悔をしました。
温泉施設の駐車場で強風に煽られ車のドアを隣の車に当ててしまい、ミラーに白く跡が残りました。
運転手が帰ってくるのを少し待ちましたが、職場に知られることを恐れ、おそらくばれないだろうとその場を離れてしまいました。
時間が経つごとに後悔の念に苛まれ、今日警察に出向きました。被害届は出ておらず、以後気を付けるよう指導を受けました。なぜあの時ずっと待っていられなかったのか自分の行動が信じられません。
過去に似たような質問があり、善い行いをすることで悪行も消滅すると書いてありました。
警察に出頭したところで被害者の方に謝罪出来るわけでもなく、近所のごみ拾いをしても罪悪感は全くなくなりません。
楽になりたいとは思いませんが他に何ができるのがわかりません。
どういう気持ちで何をして生きていくのが正しいのでしょうか。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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気づきを与えて頂いた事を大切に
初めまして、お早う御座います。
気づかない内に犯してしまう事や、知っていても犯してしまう過ちは小ささや大きさ関係なく誰にでもある事です。気づきを与えて頂き、それに気が付いてあの時は・・・と反省をするかしないか・・そこが大切です。
気づきを与えて頂き、後悔や反省をした時点で懺悔をされていると私は思います。一つここで気づきと学べたのです。
お坊さんの懺悔文、蜜厳院発露懺悔(みつごんいんほつろさんげ)という教文がございます。覚鑁さまと言う僧侶が、地位ばかりを求める僧侶や食べる目的しか考えない僧侶・・荒れた高野山を正そう・・・と書かれた懺悔文。この懺悔は僧侶だけでなく一般の方にも当てはまると思います。
ご恩返しや、過ちを反省をして周りに何かを出来る事を無理なく、見返りを求めないお返しをする事は、お釈迦様も喜んで頂けます。そして、徳を積むという言葉を聞いた事があると思いますが、お金を積むなどではなく、同じく見返りを求めない心で善きことを周りにご奉仕する事、それが徳を積むという事だと思います。落ちているごみをごみ箱に捨てる事や、車で移動中に右折する車を譲ってあげる事、横断歩道を渡りたい方に譲って上げる・・無理なく出来る事は沢山あります。
余裕がない時こそ、ひと呼吸をして焦らずに過ごして下さい。御師僧さまからこんな事をお話されました。僧侶が、忙しいでは行けませんよ。忙しいは心が亡くなってしまうからですと、はっ!と気づきを与えて頂きました。
前を向いて、笑顔であなたらしく焦らずに、人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
私の出来ることを無理なく続けていこうと思います。
そして二度と過ちを犯さないよう肝に命じて生きていきます。
ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。