妻に生きる意味がないと言わせてしまった
妻が生きる意味がないと言います。
今まで20年、出産時の妻が辛い時に自分勝手な発言で悲しませたり、妻が頑張って働いていて、腰を痛めた時に迷惑だと言って自分と子供だけで実家にご飯に行き、妻を放置したり(一度ではない)、子育て中に保育園と揉めた時も妻の味方になるどころか子供に悪影響だとののしったり、言えばまだまだありますが、その都度妻は消化はしていないが許してくれました。
ですがその時々の事で動けなくなって
放置される恐怖、周りからのみじめな目で見られるなど自分のせいで仕事が出来なくなりました。
それも子供がいたから、子育てに力を注ぐ事でなんとか精神を維持していたんだと思います。
しかし、今子供達が進学で家を出て、2人になり、1年も経っていませんが自分の勝手や責任感のない言動や行動、許してもらった時の約束を破ったり、離婚の話をして脅したりしました。
相手を理解する姿勢がないから、自分の考えでこれぐらいいいだろうと、謝るならまだしも、我慢しろみたいな発言したりなど
酷い事をして妻を絶望させてしまいました。
今までもそうですが、リカバーができないでここまで来ているので、妻は積もり積もって上記の言葉を言いました。
子供達がいた時、は子供が癒し、ストレスを逃してくれていたんでが今はそれが無いので、たまる一方だと思います。
妻がイベントなどに出かけて、自ら切り替えていこうとした事も自分が話を聞いていなかった事の行動でケチをつけ、思いやりがないのでリカバーができずに今日まで来ています。
以前約束した事でこれは言わないと決めた事を破り、破ったら次は死ぬからと言っていたのに言ってしまいました。
こんなに酷い事をしてきて、勝手な事は
わかっていますがなんとか妻には気持ちを切り替えてもらえたらと思います。
どう接したらいいと思いますか。
アドバイスお願いします。
自分の事が中心 妻に執着している、依存している 自分勝手 自己評価が高い 空気が読めない 責任感ない 自分の事を否定されると、感情的になる
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「辛口コメント」
「生きる意味がない」の意味…
責任感のない言動…
平気で約束を破る…
せめて子どもたちが進学して家を出るまでは我慢しようと思い堪えてきた…
…ようやく条件が揃った。
『信頼できないあなたと、もうこれ以上一緒に「生きる意味がない」』
…ってことじゃないんですか?
相手がどこぞの直樹さんだったら、倍返しされて、土下座させられるとこですょ!
奥さんから離婚切り出されたら、もう詰みですね…
「度重なるモラハラに対する慰謝料」
「子どもの養育費(学費・生活費)」…
ほぼ、奥さん主導で話が進んで、まともな反論できないと思います。
それでもまだ奥さんが離婚を切り出さないでくれるのであれば…
いつか奥さんと2人で笑いたいと思うのであれば…
『覚悟して下さい』
奥さんが堪えてきた20年…倍返しなら40年、今度はあなたが堪える覚悟を!
今までとは立場が逆転して、あなた自身が心を入れ換える覚悟を!
信頼ゼロからのスタートですから、「すぐに相手に通じる」なんてことはありません。
険しい道のりになるでしょう…
でも、続けなければいけません!
奥さんが20年そうして来たように!
「口先だけ」「小手先だけ」の覚悟なんてのは、すぐに見抜かれます。
覚悟を決めて、
『今度はあなたが変わる番』です!
変わるべきはどちらか?
ご相談拝読しました。
厳しい事を申し上げますが、ご理解ください。
>こんなに酷い事をしてきて、勝手な事は わかっていますがなんとか妻には気持ちを切り替えてもらえたらと思います。 どう接したらいいと思いますか。
この期に及んでまだ自分が変わるのでなく妻を変えようとするのですか?
「どう接したらよいか」と一応は自分が変わらなければならないことを自覚はされているようですが、それは手段であって「妻には気持ちを切り替えてもらえたら」というこちらが目的なのが本音ではないですか?
妻が切り替わるなら別に自分はかわらなくてもよいと思ってはいませんか?
変わらなければならないのはあなたですよね。
これまで妻がそのままで生きることを許さず、あなたに合わせて変えさせ追い詰めてきた。
その妻にまだまだ変われというのは愛無き言葉です。「あなたはそのままでいい、私が変わろう」というのが愛でしょう。
これはあなただけに言っているのではありません。私もやはり同じところがあるのだと自覚しています。
しかし何度でも繰り返してしまう。それならば自分の努力とか意識だけで頑張ろうとするのでなく、自分の外から教えてくれる何かを頼った方がいい。自分の姿は自分で見えませんからね。
私たち仏教徒にとってそれは仏の教えです。でも誰にでもあてはまるのは他者の存在です。他者の存在が自分の姿を気づかせてくれます。あなたにとって他でもない妻があなたの鏡としてはたらいてくださるのです。
その場をやり過ごせれば…という対処ではなく、根本的に見直すタイミングなのだと思います。
(また、少し心配なのは、あなた自身もどうしても自分中心にしてしまう傾向が崩せない生きづらさのようなものを抱えてきたとしたら、何か生まれ持った特性としての原因がないのか診断してみるのも安心材料になるかもしれません。決めつけではなく、原因を探るということです。)
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
また妻に負担をかけるとこでした。
自分が変わらなければ、何も解決には向かわないですね。
まだ何をしたらわからないですが
進む方向を修正していただきありがとうございます。