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家族への後悔

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有り難し有り難し 11

はじめまして。私はお節介な性格で、それが大切な両親に取り返しのつかない事をしてしまったのではないかと心が辛くて仕方ないです。私は5人家族の次女として生まれました。4歳離れた姉の他、短期で真面目でありながら世間体を気にする反面、後には母にDVとなる父、姑関係が悪い母、祖母の5人家族でした。母はいつも間に挟まれながら耐えつつ愚痴が多くなっていきました。昨年癌で亡くなりました。ストレスが原因だったのではないかと思うほど父との悪化した関係に振り回されていました。この数年父は認知症や精神疾患とも思われる症状で母を悩ませていました。その中での母の闘病でしたので生活は成り立っていませんでした。病名を告げたのも手術の後でした。パニックになって何をするかわからないという私と母の思いからそうしてしまいました。抗がん剤で体調が悪化しても仮病じゃないかと母を責め立てる父から母を離させなければとショートステイに避難させたりを繰り返すころ父が腸捻転で入院することになりました。これをきっかけに、母に自宅療養してもらいたいが為に、父を半ば騙すような形で老健へ入所、その後、サービス付高齢者住宅へ移動、夫婦が距離を開けると信じられないくらい正常な父に戻っていました。しかし、その後、父は遠方の施設でもあった為、母と会えないまま母は亡くなりました。その後は、父が腸捻転を繰り返して入退院、超切除の手術、有料老人ホームへの移動。落ち着いたと思われた頃にはだいぶ認知が進み歩行もままならなくなってしまいました。私は母を守らなくてはと思うあまりに夫婦で向き合うタイミングを奪いとってしまいました。自宅にいればもっと自分らしい生活を送れ元気でいれたかもしれない父から自由を奪ってしまいました。小学生の息子と2人生活を最優先して老いた父を見捨ててしまった。私の判断全て自分よがりだったんだと行き場のない思いに潰されてしまいそうです。1番の被害者は両親なのに襲いかかる自責の念を吐き出すなんて図々しいかもしれません。4歳離れた姉は両親の不仲が精神疾患をもたらせたと絶縁しました。母の手術を伝えましたが、親の息の音があるうちは合わないと、母は最後まで会える事を望みながら亡くなりました。父の現状もハガキで伝えましたが受取拒否と書かれて差し戻され誰にも相談が出来ずこちらを頼らせて頂きました。すみません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

よく頑張りました!立派です。

ご質問読ませていただきました。
本当に辛く大変なところを、
よく切り抜けられましたね。
愚僧も同じ立場でも
そうできたかどうか。
キチンと善処されたと、
思いますよ、
どうかご自身を責めないで、
ください。
あなたを励ますつもりも、
もちろん僧侶としてありますが、
それだけではありませんよ。
愚僧は一応、
ソーシャルワーカーでかつ、
精神科SWでもあります。
お母さまの闘病、看護
お父さまの介護、入所と、
ダブルで御苦労されて、
よく切り抜かれたと、
思います。
最善策ですよ。
緊急度の高い
お母さまの介護のために、
お父さまに施設入所してもらう、
仕方がないことです。
痴呆と内臓疾患、
身体機能の低下、
やむを得ないことです。
お2人を面倒見るなんて、
とても無理です。
敢えて批評はしませんが、
お姉さまのご協力を
得られない中、
孤立無援で
本当な頑張りましたね!

お母さま、
極楽浄土から手を合わせて、
感謝されていますよ。

どうかご自身を
責めないでくださいね。
お母さまに代わり、
お願いします。
お子さんのためにも、
今度は母親として、
生き抜いてくださいませ。

ご多幸をお祈りしています。

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

涙が止まりません。両親の子として有難く生を受けながらも取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと懺悔出来るのであれば懺悔したいという思いに日に日に駆られていく一方、戻ってはこない母と老いていく父に、私は自己満足だけで事を進めただけなんだと...
有難いお言葉に大変救われました。出来れば縁があって結ばれた夫婦ですので衝突してでも2人の行末を見守るべきだったのではという思いも強くあります。しかし、古い二世帯住宅の壁からは、時折、母を罵声する父に私はもちろん、子供がこんな生活いつまで続くの?と怯え始めました。割って宥めに入れば、父の怒りは更に母に向けられました。こうするしかなかったと自分を納得させるしかなく至っております。幼少期より父が怖く母から笑顔を奪った父を好きにはなれませんでした。しかし、母の闘病を境に父とも向き合ってきました。愚かなもので、そうする事でしか向き合えなかった私は親不孝だなと振り返ります。何故なら父はきっと認めて欲しいのに認めてもらえず、誰も頼りにしてくれず、寂しさで心が壊れてしまったのだと思うから。

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