死後空間について
初めまして。御質問させていただきます。
天国でも地獄でもない、
「無」の世界は存在するのでしょうか?
暗黒、無感、無音、無人、無物、無味、無臭。とにかく何も無い空間です。
二度と魂・霊は転生せず、消えて無くなる。
此処への逝き方、遺体、遺骨の処分方法について、「無」への行き方を教えていただきたいです。
自死(首吊り)、散骨(場所は海・業者に依頼)と考えております。葬式は挙げません。 どうでしょうか?御知恵をください。
藪遅く、お忙しい中、お手数お掛けしまして、すみません。
この様な事は、お坊様にしか御尋ね出来ません。
どうか、御回答、宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
hasunohaにようこそ
はじめまして。ご相談拝読しました。
あなたのおっしゃる「無」がどういうものなのかわからないところもあり、私とイメージにずれがあるかもしれませんが、仏教で「無」=「非存在」は「有」に対する矛盾概念として退けられます。
何かが有るとするのも、無いとするのも、一方的に極端に偏った誤りであるとするのですね。これを有無の二辺といい、これに対し仏教が目指すのは有るでもなく無いでもない中道です。辺は偏りで中道は真ん中です。
この有無を超えた絶対的なものは「〇〇である」とは表現できないのです。そう表現したとたん〇〇に偏ってしまうからです。だから有るでも「なく」、無いでも「ない」という様に否定形で表すことなになります。
まあ、難しいことはおいといても
>「無」への行き方
って矛盾してますよね?無に何かが行ったら有になってしまう。それは頭の中の考えの上でしか存在しないものです。
考えの上でしか無いものを求めても実際には得られません。これが人間の迷いです。自分の考えの範囲内でグルグルとさ迷ってしまう。
ということで、次は是非ともあなたがなぜ「無」を求めるのか、どうして消えてなくなりたいとまでお感じなのかをご相談ください。
あなたの悩みはあなたのものだから誰にもわかってもらえないと思うかもしれない。
でも、あなたがそのあなたの悩みに向き合えるように私たちは一緒に考えたいと思っています。
仏教で救われるというのは自分の思いが叶って救われるのではないのです。自分の思いが破れ、自分の在り方がひるがえる。すると世界が違って見えるのです。世界を見る目は私の目なのですから、私が変われば世界が変わるのです。
またいつでもお待ちしています。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
マニアックな質問ですので、何方からも御回答いただけないと思っておりました。御対応していただき、感謝致します。
仏教の考えが知れて良かったです。
貴重な御時間と御知恵をありがとうございました。