なぜいつか必ず死ぬのに、生きるのか回答受付中
つい2週間ほど前にも、同じ内容の相談をさせて頂きました。しかしご回答頂いた僧侶の方には申し訳ありませんが、納得できませんでした。
いままでたくさんの夢を叶えました。いまも日々充実しています。自分の人生に、とても満足しています。
ところが、最近よく思うのです。どうせいつか死ぬのに、なぜこうも七転八倒しながら生きるのか、と。
周りの精神障害者、登山仲間も、たくさん亡くなりました。死が身近に感じることも、理由の1つかも知れません。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
尽きない欲。確かめながら生きる。いのちを考えるのも幸せな時間
そうですね、必ず命終えていかねばなりませんよね。
あなたが、身近な人と死別を経験されて、また自分の命を考えた時に、こんなにいろんなことがあっても前を向こうと頑張って生きてきても、最後に待っているのは「死」なのだと思うと、今が虚しく思えたり、何のために生きるのかと、希望も持てなくなりますよね。
本当に、あなたの問いは、私の問いでもあります。
感情があるから、死ぬのがわかっていても、生きたい、死にたくない、楽しみたい、幸せを感じたい、生きてきてよかったと、求めたくなるのでしょうかね。私は、そうやって、欲が湧いてきます。それでも、最期がくる。親しい人、愛する人との死別を経験して、自分の命の終わりを考えます。怖い、歳をとりたくない、死への不安もある。だから、私は生きている!を実感して、喜びも味わいたい、幸せな人生だったと、大切な人に想いを残していきたい。そうやって、今を生きたいと思ってしまいます。やはり、欲ですね。尽きないのが人間なのでしょう。
仏教は、死にゆく者に、「終わるいのちではなく、願われるいのちに」と、どんな者も救ってやりたいと誓ってくださる仏様がいてくださいます。
欲深い私は、仏様に手を伸ばしたいともがきながらも、すでに仏様の救いの中にあったと 仏様のお心を聞かせてもらい、安心と御恩に深く報謝の想いで、ますます嬉しく、生きたいと思えるのです。死ぬわけではなく、願われたまま、救われて仏の世界に生まれていけるのだと、大きな安心があるから。
仏教の信仰がなければ、私は絶望していたかもしれませんね。
人生の折々に、こうやって確かめながら、共に生きる。自分のいのちを考えるのも、また幸せな時間ではないでしょうか。
生きるのではなく、生かされている
日々充実し、ご自身の人生にとても満足されている。しかし、人はなぜ生きるのかという問いに対する、納得する答えが見つからないのですね。
「人はいつか死ぬ」、とは真理です。ですが、ご存知のように私たちの細胞は毎日死んでは生まれており、短いもので数日、長いものでも数年で身体丸ごとすっかり入れ替わっているそうです。そういう意味では、私たちは「いつか」ではなく、この瞬間も常に死んでは生まれています。これを人類という視点でみれば、私たち一人ひとりが死んで、新たな命が誕生し、100年弱で人類はそっくり入れ替わっています。宇宙で考えると、星は死んで生まれています。仏さまの視点で見れば、すべては死んで生まれるが、世界が無くなる訳ではありません。私たちは大いなる「いのち」の一部であり、同時に一人ひとりがその本質なのではないかと私は考えています。生きるのではなく、生かされているとも言えましょう。
ですので、個人の死があっても、それは終わりや敗北ではありませんし、死があるから生がある、死があるから命が輝くとも言えましょう。今、死について思索を巡らしているコットンさんはもしかすると憂鬱な暗いお気持ちかもしれませんが、きっと仏さまから見ればその「いのち(生)」はまばゆいばかりに輝いている、そんな風に私は思えます。
山あり谷ありの方が人生の景色はきれいだと言います。そして、七転八倒しなければ、人生に「味わい」は無いとも思うのです。
質問者からのお礼
中田三恵さま
中田さまの、「本当に、あなたの問いは、私の問いでもあります」「仏教の信仰がなければ、私は絶望していたかもしれませんね」
この2つのお言葉に、特に心を動かされました。私と同じ辛さを抱き、それでも中田さまが、葛藤し、苦しみながらも生きておられるのなら、私も中田さまとハスノハで繋がっているうちは、生きていこうと思いました。
私は浄土真宗のお寺で生まれ育った母の影響で、仏教の信仰があります。私も仏教の信仰がなければ、神様に生きることの許しを求めて、命がけでヒマラヤに登ることはしなかったと思います。
仏教の信仰がなければ、私はこの世を去っていたことでしょう。
本当にありがとうございました。心が救われました。
増田俊康さま
ご回答ありがとうございます。「山あり谷ありの方が人生の景色はきれいだと言います。そして、七転八倒しなければ、人生に「味わい」は無いとも思うのです。」というお言葉が、心に響きました。言語化できませんが、何となくその意味は分かります。そのお言葉を忘れないように生きていきます。