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なぜいつか必ず死ぬのに、生きるのか回答受付中

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つい2週間ほど前にも、同じ内容の相談をさせて頂きました。しかしご回答頂いた僧侶の方には申し訳ありませんが、納得できませんでした。

いままでたくさんの夢を叶えました。いまも日々充実しています。自分の人生に、とても満足しています。

ところが、最近よく思うのです。どうせいつか死ぬのに、なぜこうも七転八倒しながら生きるのか、と。

周りの精神障害者、登山仲間も、たくさん亡くなりました。死が身近に感じることも、理由の1つかも知れません。

2025年10月19日 19:34

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

尽きない欲。確かめながら生きる。いのちを考えるのも幸せな時間

そうですね、必ず命終えていかねばなりませんよね。
あなたが、身近な人と死別を経験されて、また自分の命を考えた時に、こんなにいろんなことがあっても前を向こうと頑張って生きてきても、最後に待っているのは「死」なのだと思うと、今が虚しく思えたり、何のために生きるのかと、希望も持てなくなりますよね。

本当に、あなたの問いは、私の問いでもあります。
感情があるから、死ぬのがわかっていても、生きたい、死にたくない、楽しみたい、幸せを感じたい、生きてきてよかったと、求めたくなるのでしょうかね。私は、そうやって、欲が湧いてきます。それでも、最期がくる。親しい人、愛する人との死別を経験して、自分の命の終わりを考えます。怖い、歳をとりたくない、死への不安もある。だから、私は生きている!を実感して、喜びも味わいたい、幸せな人生だったと、大切な人に想いを残していきたい。そうやって、今を生きたいと思ってしまいます。やはり、欲ですね。尽きないのが人間なのでしょう。

仏教は、死にゆく者に、「終わるいのちではなく、願われるいのちに」と、どんな者も救ってやりたいと誓ってくださる仏様がいてくださいます。
欲深い私は、仏様に手を伸ばしたいともがきながらも、すでに仏様の救いの中にあったと 仏様のお心を聞かせてもらい、安心と御恩に深く報謝の想いで、ますます嬉しく、生きたいと思えるのです。死ぬわけではなく、願われたまま、救われて仏の世界に生まれていけるのだと、大きな安心があるから。
仏教の信仰がなければ、私は絶望していたかもしれませんね。

人生の折々に、こうやって確かめながら、共に生きる。自分のいのちを考えるのも、また幸せな時間ではないでしょうか。

2025年10月19日 22:45
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴トレーナー、手話、要約筆記、行政相談員、小学校 中学校支援員としても、ケアサポートをしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。 ◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。 言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。 ◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。 ◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。 ◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート ◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。 (相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので) ◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )

生きるのではなく、生かされている

日々充実し、ご自身の人生にとても満足されている。しかし、人はなぜ生きるのかという問いに対する、納得する答えが見つからないのですね。

「人はいつか死ぬ」、とは真理です。ですが、ご存知のように私たちの細胞は毎日死んでは生まれており、短いもので数日、長いものでも数年で身体丸ごとすっかり入れ替わっているそうです。そういう意味では、私たちは「いつか」ではなく、この瞬間も常に死んでは生まれています。これを人類という視点でみれば、私たち一人ひとりが死んで、新たな命が誕生し、100年弱で人類はそっくり入れ替わっています。宇宙で考えると、星は死んで生まれています。仏さまの視点で見れば、すべては死んで生まれるが、世界が無くなる訳ではありません。私たちは大いなる「いのち」の一部であり、同時に一人ひとりがその本質なのではないかと私は考えています。生きるのではなく、生かされているとも言えましょう。

ですので、個人の死があっても、それは終わりや敗北ではありませんし、死があるから生がある、死があるから命が輝くとも言えましょう。今、死について思索を巡らしているコットンさんはもしかすると憂鬱な暗いお気持ちかもしれませんが、きっと仏さまから見ればその「いのち(生)」はまばゆいばかりに輝いている、そんな風に私は思えます。

山あり谷ありの方が人生の景色はきれいだと言います。そして、七転八倒しなければ、人生に「味わい」は無いとも思うのです。

2025年10月20日 9:04
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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、お祭りなどのイベントに出演中です。 ◆大道芸人プリンコちゃんホームページ http://princo.fc2web.com/ 真言宗豊山派総合研究院 布教研究所常勤研究員 常任布教師 仏教伝道教材の「なむなむ」代表 流山市青少年環境浄化事業推進委員会 環境部会長 流山市青少年指導センター補導員 連絡協議会副会長 保護司(柏地区流山支部) 柏マジッククラブ会員 日本ジャグリング協会会員 流山ジャグリングクラブ顧問 日本ツイストバルーン協会会員 ◆PRINCOちゃんねる(法話動画など) https://www.youtube.com/channel/UC4gxIC4-oeR4ns3FpNr8vqA?view_as=subscriber
ただし、午前6時~午前0時まででお願いします

質問者からのお礼

中田三恵さま

中田さまの、「本当に、あなたの問いは、私の問いでもあります」「仏教の信仰がなければ、私は絶望していたかもしれませんね」

この2つのお言葉に、特に心を動かされました。私と同じ辛さを抱き、それでも中田さまが、葛藤し、苦しみながらも生きておられるのなら、私も中田さまとハスノハで繋がっているうちは、生きていこうと思いました。

私は浄土真宗のお寺で生まれ育った母の影響で、仏教の信仰があります。私も仏教の信仰がなければ、神様に生きることの許しを求めて、命がけでヒマラヤに登ることはしなかったと思います。

仏教の信仰がなければ、私はこの世を去っていたことでしょう。

本当にありがとうございました。心が救われました。

増田俊康さま

ご回答ありがとうございます。「山あり谷ありの方が人生の景色はきれいだと言います。そして、七転八倒しなければ、人生に「味わい」は無いとも思うのです。」というお言葉が、心に響きました。言語化できませんが、何となくその意味は分かります。そのお言葉を忘れないように生きていきます。

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