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いずれ訪れる死が怖いです回答受付中

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有り難し有り難し 18

いずれ訪れる死が怖いです。

人はいつか皆、必ずこの世界とのお別れが来ます。

人間も生き物である以上、生まれて生きていつかは死んでゆく。
そのサイクルは理解しています。

でも、そのいつか訪れる死が怖いのです。

物心ついた時からです。
ー死んだら人はどうなってしまうの?死んだらまた生まれて来れるの?ー
そんな風に考えしまったら恐怖で息が苦しく、目の前が真っ暗になりパニックを起こしてしまいます。
死にたくない。怖い。嫌だ。そんな感情を抑えきれなくなってしまいます。

生き続ける事の方が怖いという話もよく聞きます。
永遠がないからこそ、時間が有限だからこそ、生きる事に意味があると。
生きる事も死ぬ事も人間の儚さであると。
そんなのは綺麗事なのではないかと思ってしまいます。

ふとした瞬間に思うんです。
今、こうして生きていてもいずれは全てなくなってしまうんだよなぁと。
どんなに嫌で怖くても、決まっている運命には抗えない。
子供が2人居ますが、この子達がおじいちゃんおばあちゃんになる頃にはこの世界に自分は居ないと思うと不思議な感覚になります。

時の流れに逆らう事は出来ません。
じゃあ、人は何の為に生まれて、何の為に生きて、何の為に死んでゆくのか。
いずれ死んでしまうのに自分は何故、この世界に生まれてきたのか。
考えれば考えるほど、「逃げられない恐怖」の底へと引きずり込まれてしまいます。

何故、せっかく生まれてきたのに死ななければならないのですか。
助けてください。

逃げられない恐怖と向き合っていく方法はあるのでしょうか。

2025年8月2日 22:46

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

念仏→来迎→正念→往生。お気楽極楽無責任

浄土宗では、「南無阿弥陀仏」と念仏を称(とな)えていれば、その人は臨終に阿弥陀仏の来迎(極楽浄土からお出迎え)に遭うことができ、阿弥陀仏の力で断末摩の苦しみ(死ぬときの苦痛)が無くなり、正念(静かで平安な心)で往生(極楽浄土への転生)を遂げることができると考えます。
念仏→来迎→正念→往生
の順番の実現を阿弥陀仏が誓ってくださっている、それを本願と呼びます。
他力本願(仏様の力)によって、私達は死の苦しみから救われるのです。
もちろん、実際にそのとき(臨終)になってみないとわかりませんが、どうせわからなんだから、そのときまで考える必要がないとも言えます。
往生極楽(死やあの世)のことを考えて念仏するなんて、暗い宗教だなと思う人もいるかもしれません。
しかしむしろ、死やあの世のことを考える必要がない(正念・往生が決まっている)のが浄土の教えです。
結局は、「なるようになる」のです。
全身麻酔で胃カメラ検査や手術を受けるときに、麻酔の後は医師に任せるしかない。
「任せるしかない」ということは「自分はあまり責任を感じる必要がない」という、お気楽・極楽・無責任で良いということです。
いずれは死ぬ運命だ(別れが訪れる)、これも「任せるしかない」のです。

2025年8月3日 9:43
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

~までは死ねない、と考える

死ぬことは、仏教でも最も大きな問題です。
ふだん諸行無常、寂滅以楽などともっともらしいことを言っているお坊さんも、いざ自分が死ぬ段になったら、怖くて怖くてたまらないという人がほとんどでしょう。私もその一人です。一休さんも大悟したといいながら最期は「死にとうはなし」と言ったといわれます。
私も小さい子供の頃から死ぬのが怖かったです。幼稚園の頃、両親の布団の間に潜り込んで、死にたくない、死にたくない、死にたくない、……と呪文のように言っていたことを今でも覚えています。今でも、町の風景を見ているうちに「自分が死んで消えても、この木はここに生えて残っているんだな」と不思議な気持ちになることもあります。
死は今生の最期に一回しかありませんから、あらかじめ経験することもできませんし、亡くなった人から話を聞くこともできません。「死とはこういうものである。こうなるものである」ということを私たちは知る方法がありません。知る方法がないものを想像すると、私たちはどんどん怖いイメージを膨らませてしまいます。
私はもうすぐ還暦で、いよいよ平均寿命まで時間が少なくなってきました。最近、発見したのは、「末っ子が社会人になって独立するまでは死ねない」と「~までは死ねない」と考えると、そのために必要な方法を思案することに集中して、怖いイメージを膨らませることが少なくなるということでした。
死がどんなものかわからず、怖いことには違いありませんが、その怖いイメージを自分でどんどん膨らませることはなくなったように思います。
若い方は寿命自体がまだまだ長く、「~まで」という区切りをつけにくいかと思いますが、たとえば「子供が独立するまで」「孫の顔をみるまで」「孫の結婚式をみるまで」と、その都度、ゴールポストをどんどん先に動かしていくことで、自分が膨らませるイメージに悩まされることを少なくできるのではないでしょうか。

2025年8月3日 7:02
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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。

輪廻転生

外国の大学院の医学部教授(精神科)が、患者さんに退行催眠をかけたところ
幼少期を通り越して過去世の記憶を思い出すということがありました。
それから研究をはじめ、そうした事例は数万件はあるようです。
本にもなっていまして私も数冊読みました。
医学部の教授の話ということで、信用することが出来ましたし、
読んだ限り作り話にはとても思えませんでした。
過去世の出来事を思い出したことによって、今現在の心身の不調和が消えたり、
軽減されたりと興味深い話でした。
前世、過去世があると信じられる人と、信じられない人、当然両者あると
思います。お釈迦様の生まれ変わりの物語も沢山ありますし、ブータンでは
国民の多くが輪廻転生を信じているという話を聞いたこともありますし、
この本を読んだ上で、私ははっきりはわかりませんが、過去世はあるように
思えています。
過去世の真偽はわかりませんが、もし信じられれば死は完全な終わりではない
ということになり、そこから来る怖れは軽減されるのではないかと思います。
もう10年以上も前の本です。「前世療法」という題だったと思います。

怖れ、恐怖を何とかしたいと、その解決、解消の方法に目が向いてしまう
ものですが、一度「怖れ」という気持ち、感情そのものを確りと感じる、
感じ切ってみると良いと思います。心には力があって、怖れという感情、
エネルギーを中和、調和してくれると思います。消えて行ったり、変容したり、
気づきがあったりすると思います。無理はしなくていいですけど。

2025年8月4日 15:42
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有り難し
おきもち

個別相談可能
地方の小さいお寺の住職をしていました。 https://note.com/houen/n/n03ae7cc472ad https://butujinosoudann.webnode.jp/

これからもご縁を大切になさって生きて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたは死をとても怖いと思ってしまうのですね。いずれ訪れる死によって大切なお子さん達と別れてしまうと思うと恐怖にさいなまれてしまうのですね。詳細なあなたやお子さんや皆さんのことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがその様に死を恐れる様に全ての人が死を恐れます。あなたがどうして死ななければならないのかと思う様に全ての人がそう思うでしょう。私もそう思います。
大切な方々と離れなければならないことは本当に辛いことです。

私達は必ず死を迎えます。それは必然です。永遠にこのまま生きることはできませんからね。

とはいえ亡くなったとしても大切なご縁が無くなってしまうわけではありません。
私達は死ぬ時に必ず仏様や神様がお導き下さり、親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして一切の迷いや苦しみから救われて親しい方やご先祖様と一緒に安らかに成仏することができ、それからも生きる親しい方々をあたたくお見守りすることができるのです。
ですから死は通過点です、これからもずっと大切なご縁は続いていくのです。
あなたは今も大切な方とのご縁に結ばれています。あなたや皆さんのことをご先祖様はいつでもどこでもあたたくお見守りなさっていて下さいます。
あなたや皆さんはこれからもご先祖様に守られながら生きることできるのです。そしてあなたはこれからもお子さん達や皆さんと一緒に心から安心なさり幸せに生きることができるのです。

あなたがこれからもご先祖様や多くの方々とのご縁を大切になさり、皆さんと一緒に穏やかに安心して毎日を生きることできます様に、皆さんと健やかにお子さん達を育てて幸せに生きることできます様に心から仏様や神様やご先祖様に祈っています。
そしてあなたやお子さん達やご先祖様とのご縁がこれからも永遠に続きます様に心から仏様や神様やご先祖様に祈っています。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2025年8月3日 11:23
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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