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震災で亡くなった母の気持ち

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3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。

でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。

9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。

少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。

この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。

赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。

でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。

長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

2020年3月9日 9:26

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の彼女も震災で亡くなりました。

今日は。

もうすぐ、彼女の命日です。保育士を目指し・・高校を卒業して宮城から千葉に上京をしました。私も父子家庭で重い障がいがある長男の療育の為に、千葉に引っ越しをしました。当時、妻を見取り2年の月日が流れ過去を生きる疲れ果てた姿に・・支えて手上げたいと派遣先で彼女に出会いました。まだ若く私よりも・・と断り続け、それでも諦めずに支えてくれていた彼女は、祖母ちゃんが入院したという連絡があり、宮城に帰った数日後に、病院に家族でお見舞いに向かう途中で津波に合いました。

お母さんや妹さんを必死に車の屋根に移し、流される中で妹さんにお母さんを捕まえてて!てと叫んでいた事を後から聞きました。

絶望の中で、より苦しみました。不思議な事がありました。彼女が夢などに現れました。お母様や妹さんも同じく夢を見たり・・幻では?と彼女の姿を私たち3人が見たのです。それは・・私が過去を生き、仕合せにはなっては駄目だ・・と日々、泣いていたことを、必死に今を生きて!笑って!と壊れたレコードのように日々問い掛けていました。

その後、お母様と妹さんと3人で被災した地を訪れました。かつて町があり人が行き交っていたであろう地はがれきで何も残っていませんでした。

そこで、彼女との約束が蘇りました。そうだったね、ごめんね。もう過去を生きずに前を向くよ!と、彼女との約束に気づきを与えられました。その後、夢などにも現れなくなりました。お母様も、私が気が狂ったのかと思った・・と語っていました。きっと私なら、娘を迷わせずに送ってくれる・・と思ったとも。

彼岸から此岸に渡るとき、憎い出来事も、悔しい出来事も・・そのしがらみや苦しみ全てから解き放たれます。そして、恨んだりすることもなく綺麗な心で空高く舞って行きます。私のように未練があっては・・彼岸に旅立つ愛した人は未練という鎖に繋げられ舞う事が出来ないのです。数日後には東日本大震災があった日。彼女だけでなく多くの御霊が空に舞った日です。多くを私たちは学びました。それを絶対に忘れてはいけません。

子を思うからこそ、新たなストーリーを歩んで次のチャンスをつかみ仕合せに過ごせる事を願ってください。彼岸の方は、此岸の私たちを笑顔で過ごす姿を望んでいるのです。

命の時間を共に過ごし笑顔で日々を過ごして下さい。彼岸の方もその姿に微笑んでストーリーを歩むのです。合掌

2020年3月9日 13:31
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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...

質問者からのお礼

永寛様

ありがとうございます。本当に震災ではたくさんの事を学びました。私は被害は軽かったですが、それでも日常のありがたさが身に染みました。

たくさんの人達が亡くなった事、忘れずにいたいです。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

元夫の孤独死をどう乗り越えるか

再度の相談です。 10年以上前に離婚した夫は孤独死し、約2ヶ月後に発見されました。子供と荼毘にふし、遺骨も引き取りました。 離婚の原因は、結婚当初同居していた義母の浪費癖と、その後元夫の浮気、私に相談無しの独立でした。 義母の浪費については元夫と話し合い、私たちの貯金で工面しました。その後義母とは別居しましたが、家賃滞納やお金の無心をされることもありました。私も仕事をしていましたし、一回の金額はそれほど高額ではなかったので、元夫には内緒で工面してきました。 その後元夫は浮気したことが発覚したのです。私は気付きませんでしたが、相手の方のご主人から告げられ知ることとなりました。 話し合い、やり直す約束をして新居を購入しました。私はすべてを許す覚悟でした。 しかし元夫は私に相談することなく独立を計画し、全て準備してから私に切り出してきました。 私はこれまで元夫を許してきましたが、そこで愛情が切れてしまいました。しかし子供もいるのですぐに離婚はせず、フルタイムの仕事に就いて、生活を支えるようになりました。 元夫の事業は3年後順調になりましたが、お金を持つようになって、人が変わってしまいました。私を見下す発言も多くなりました。 離婚は私から申し出ました。調停を起こし、養育費の額も決めました。元夫の仕事はその後しばらくは順調のようでしたが、東日本大震災を機に経営が難しくなっていったようです。養育費の支払いも止まりました。 私はフルタイムの仕事、日雇いでのアルバイトで、子供の教育費を貯めていきました。おかげで子供を私立理系大学院まで進ませました。 元夫には、当初憎しみしかありませんでした。 でも時々連絡を取り合うようになり、元夫は子供を本当に大切に思っていたし、経済的に支えられないことを悔やんでいることも理解できました。また、元夫が経済的に行き詰まっていることを知ってから、私は負債を整理できたなら、一緒に暮らしたいとも考えていました。 元夫との最期の会話の際に「離婚なんてしたくなかった」と伝えました。元夫はありがとうと言ってくれました。 体調が悪いと知っていたのに、私は何で元夫を病院に連れて行かなかったのだろう。私が見殺しにしたのではないかと、苦しい毎日を送っています。 どのように気持ちの整理をつけたらいいでしょうか?

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