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母が余命宣告されました

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

拝見してくださり、ありがとうございます。
私は20歳の女性です。
1年前、62歳の母の癌が発覚しました。
そしてこの間、余命があと3ヶ月程だとお医者様に告げられました。
私自身とても辛い幼少期を過ごしており、
ようやく人生が楽しいと感じ始めた頃に母の病が発覚しとても辛いです。

自分が今辛い状況に立っているのを認めたくなくて周りの人に頼る(相談する)事が出来ません。
楽しい事を楽しみたいという気持ちと、母親と過ごす時間を大切にしたいという気持ちがごちゃ混ぜになって苦しいです。
母親が苦しがっている所を見ると、私自身もとてもしんどく苦しくなってしまいます。
毎日楽しく過ごそうと思っていても母親の事を考えて重く沈んだ気持ちになってしまいます。
ウイルスの影響で面会も中々出来ないし、人混みに行くと私も感染しているのではないかと不安でいっぱいになってしまいます。
生きる気力をなくした母を見ると、どう言葉を掛ければいいのか分からなくなります。
「私を産んで、ここまで育ててくれてありがとう」など感謝の気持ちはたくさん伝えてきましたが、
母が亡くなる事も亡くなった後後悔するのも全て怖いです。
生きている以上、死は必ず来るものだと分かっていますが、身近な人間の死がとても怖く感じます。

質問になっているかわからないですが、ぜひ、メッセージをいただきたいです。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去でもない、未来でもない、この瞬間をあなたらしく。

初めまして、お早う御座います。

私たちは、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間という奇跡とも言える今を生きています。そして、私たちのこの身体には何百年と続くご先祖様や、父母の想い・願いそして生きた証が込められています。

愛した人、親を私も看取り失いました。特に妻と父は余命を宣告され、どのように接し過ごしたら良いのかと葛藤をしました。

笑顔で、この二度とない瞬間を自分らしくいつも通りに接して、日常の出来事を語り過ごしました。亡き妻は意識がなくなってしまってからも、毎日病院に行き子ども達のこと、日常の事を伝え続けました。きっと聞こえているんだよな・・そう思って伝えました。数回、涙が流れた事がありました。

大切な人の死や、病気などその出来事から、沢山の気づきを与えて頂けます。何気なく過ごす日々が、どれだけ有り難く、当たり前という事がないということなど全てが変わります。

黙っていても、時は留まらず動いています。訪れていない出来事を思うから・・それが不安になり、心配になるのです。それよりも、この瞬間をお母さまとの命の時間をいつも通りに、笑顔で過ごしてお互いの心のアルバムに想い出を刻んで行きませんか?お母さまも、あなたが悲しむ姿を見ることは、自分の心よりも辛いのです。

人は死んだら終わりではありません。魂が愛した人や家族の中に入って、共に想い出などに寄り添って、共に泣いて時を過ごします。そして、お互いのタイミングでそれぞれが新たなストーリーを歩み出します。歩み出しても、例えお仏壇がなくても・・純粋に祈れば、その瞬間、隣に現れて祈る姿に微笑んで応えてくれます。お仏壇はこの世と、あの世と繋ぐ電話だとも思っています。

別れがあるから新たな出会いがあります。お母さまも新たなストーリーに向けて歩み出す準備をしています。急がなくて良いのです。ゆっくり、ゆっくりと向き合って下さい。私も悲しみから中々抜け出せませんでしたが、時が必ず心を癒してくれます。

人生も運命も自分自身も・・いくらでも変えられます。お母さまがあなたに託された思い、願いを大切に。結果をすぐに求めたり、焦ったり、心を惑わされずに、あなただけにしか持っていない良さがあります。あなたらしくこの瞬間を仕合せに歩めますように、お祈り致しております。辛い時、お寺のメールにメッセージください。

合掌。

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