普通って難しい
もう少しで30歳、未婚で恋人なし。友達と連絡をとるのも億劫で、仕事一筋な今日この頃です。
最近「普通」とは何かよく考えます。世間一般の幸せとか、何をするのが他の人と共通した「幸せ」で「普通」なのか?…なんとなく分かりますが、そう考えると自分は「普通」に沿って、器用に生きられないタイプだなぁと思います。普通に生活して、普通に仕事して…というのが考えるほどとても辛くなります。というのも、私は不器用で人付き合いが上手な方ではありません。周りを気にして言いたい事が言えず、ため込むタイプです。
仕事は好きですが、上記の性格もあり、人間関係や仕事量の多さで一度体調を崩した事があります。それから反省して、自分を大切にすることが自分の目標となりました。でも体調を崩してから、休日はエネルギー切れで家で寝ていることが多いです。プライベートがあまり充実していないので、今はより仕事に熱が入っていますが、周りが皆同じ熱量を持っているわけではないので(当たり前ですが)、空回りしてガッカリしたり…。内心このまま「普通」を求めて生き続けるのかと考えると疲れて精神的にがくんと落ちます。そうなると器用に生きている周りの人を羨んで見たり、焦ってしまう自分がいます。周りだってその人なりの苦労があって生きているのに、我儘ですよね。
最近土にかえりたい、とよく思います。もはや考えることが嫌なのです。ネガティブな考えしかできていない私に、どうかご助言をいただけないでしょうか?
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今を、自分を、周囲を丁寧に見て
こんにちは、初めまして。
「仕事一筋」とのこと、お忙しいでしょう。
文面から察するに、あなたはとても情熱的な人だと思います。「仕事に熱が入っています」、けれども「周りが皆同じ熱量を持っているわけではない」から「空回りしてガッカリ」とのこと。自分が情熱を注ぐのに比例して、周囲ももっとレスポンスして欲しいと思っておられると察します。これは、皆が真似できない素質、能力です。十人並みに置いておくには勿体無い、是非これからもその姿勢を基本的に崩さないで欲しいです。人生はともすれば惰性に堕す危険性があるものですから。
あなたの文章でキーワードだと思ったのは、「普通」が何を意味するかです。あなたは、以下のように書いておられます。
・自分は「普通」に沿って、器用に生きられないタイプ
・内心このまま「普通」を求めて生き続けるのかと考えると疲れて精神的にがくんと落ちます。そうなると器用に生きている周りの人を羨んで
つまり、あなたは「器用に生きる」と「普通」をリンクさせて考えています。情熱的に私は生きたい、あなたもきっとそうだよね!という気持ちと、現実の周囲の温度差に徒労感を覚え始めているのではないでしょうか。だから、自分の生き方を捨てて、「普通」になれば周囲の温度と合うから、それが楽なのかな(=幸せ)とお思いなのだと推測しました。
私は、あなたが情熱的なのはいいと思うのですが、もしかすると周囲の人たちの視点、事情が見えていないのではないかと老婆心ながら思います。あなたも、「周りだってその人なりの苦労があって生きている」とお気づきです。しかし、それならば周囲の生き様を、「器用」とは表現しないでしょう。周囲なりに必死に生きているということの詳細(介護、教育問題、経済問題等)を見る余裕があるならば、周囲も必死、私も必死、お互い様と表現するのではないかと思いました。
幸せはレベルダウンして、妥協の産物として得られるということではないと思います。今を、自分を、周囲を丁寧に見て、お互いの健闘を称え合うところに、人生の美しさ、貴重さを実感してこそ、自ずと得られるものだと私は思います。
ご参考になれば、幸いです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。仰るとおりで、皆がそれぞれ見えない所で頑張っているということ、時々忘れてしまっているように思います。
今は不器用な自分のための、安全な居場所をどこかに求めているのかもしれません。素直に自分と周りを認めて大切にできたら…と思います。