会いにきてる?主人に会いたい、、
お世話になります。
主人が亡くなり、まだまだ気持ちの整理がつきません。未だ、仏壇の前に座れないでいます。
子どもがいるので、笑顔でパパの事を話したりしています、子供達も仏壇、お骨の前で挨拶したり語りかけたりしています。
フッとした時に、線香でもない、なんともいえないにおいがしたり、ん?と気をつけてにおおうとすると、においがなくなってたり…
亡くなった時のにおいといいますか…
これは、主人が会いにきてるんですか?
子どもも、いきなり、ん?なんかパパのにおいがしたー!と言います。
私がまだ、くよくよしてるから、安心して成仏できてないでここにさまよっているとか?…
後は、お盆や、命日には、私達の1番近い場所にきてくれてるといいます。
ですが、亡くなったら、私達の近くにいる、そばで見守っているといいます。
亡くなったらいつでもそばにいてくれるものではないのですか?
亡くなったら、あちこち、好きなとこに行けるものなのですか?
自死でなくなっただけに、今頃後悔だらけで、笑顔で過ごしてる子ども達を見て、たまらなくなって、まだまだ安心どころか、ウロウロ、なってしまってるのではないか…と考えています…
主人の死を、まだまだ整理できません…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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近くにいてくれる
質問拝見しました。
お気持ちを察すると言葉もありませんが、お答えさせていただきます。
お釈迦様の世界である浄土について「法華経」というお経に『常にここにあって法を説く 我つねにここに住すれども 諸々の神通力をもって 転倒の衆生をして 近と言えどもしかも見ざらしむ』
と、お釈迦様は示してくださっています。
意訳すると「お釈迦様はつねに近くで私たちを教え導いてくれているのですが、不思議が力をもって本当に近くに居るのに、あえて私たちからは見えなくしている」と言うことになります。
つまり仏様の世界である浄土は、旦那さんの居る世界は遠くにあるのではなく、kamayuさんの世界と同じところにあるのです。
ただ、私たちからは見ることも触れることも寂しいですができないのです。
しかし、直接声は聞こえないですがメッセージを受け取ることがあります。
お寺での法事の時、大降りの雨が降っていました。親族の方は「お墓参りは行けないね」と、話していたのですが、お経が終わりしばらくすると日が差すほど天候が回復していたのです。それを見た故人の息子さんは、「親父が、今日のお経を喜んでくれたみたい」と、言って涙を拭いておられました。
旦那さんも同じだと思います。
Kanayuさんが元気でいてくれて嬉しいのです。子供たちのために一生懸命な姿に感謝をされているのです。
悲しみはすぐに癒えることはありませんが、笑いたいときには笑い、悲しいときには涙を流してください。もちろん怒ることも大切です。
どんなときも旦那さんは、貴女とお子さんのそばで仏様と共に見守ってくれています。
旦那さんからのメッセージはkamayoさんの心に届きます必ず。お子さんの心にも。
どうぞ お心 健やかに と祈っております