御縁、とは
先日、こちらで質問させて頂いた際、人との繋がりは出会いも別れもご縁によるもの、というお言葉を頂きました。
私は自分の軽率な行動により、付き合っていた彼に別れを告げられ、周りの人にも身に覚えのないことまで言いふらされて、かなり酷く言われております。
自分が撒いた種とはいえ他人にここまで言われる筋合いがあるのかと近頃は反省の念よりも怒りが湧いてきてしまいます。
自分自身がしてしまったことよりも、今受けている仕打ちの方が酷いのではないか、とも考えてしまい反省できていない自分がとても嫌になります。
しかし、大袈裟かもしれませんが、前世で何か大罪を犯したのではないか、と言うほどの仕打ちを受けていると感じています。
それともこれも私の行動が招いた結果なのでしょうか。
元はと言えば自分が悪いのは重々承知の上なのですが、このような状況にいるのも縁のうちにあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「前世」よりも「行動」
おはようございます。
たまたまですが、前回に引き続きまた「御縁」がありました。
ご自分の苦境が「前世」によるものか、「行動」によるものかというお尋ねです。
お釈迦様は、人の尊さは生まれによるものではなく、その行い(業)によって定まると教えられました。人間は、様々な「御縁」(人間の意志、社会情勢や環境、自然など世のあらゆるもの)の影響下で行いを積み重ね、その行いが自他の「御縁」となって・・・と無限の長さと広さで繋がっていくものです。
この意味では、あなたの苦境は無数の人の行動と「御縁」の内に生じている、ということです。
運命論、決定論のような「前世」の捉え方よりも、自らの「行動」こそに焦点を合わせていくべきです。行動によって人間は変われるし、形作られていくのですから。
先ずは、簡単にお答えまで。
質問者からのお礼
釋様
前回に引き続き、ご回答ありがとうございました。
前世どうこうを考えるより、今の自分の行動を改める方が大切なのですね。
やってしまったことによる後悔や反省の念もありますが、それよりもこれから自分が良い行いを重ねて行けるように努力しようという気持ちになれました。
本当にありがとうございました。