縁について
こんにちは。
気のせいかもしれませんが、私は物心ついたときから、自分がこれからお世話になるような場所に行くと、とても明るい気分になります。その場所から歓迎していただいているようで、なにかご縁を感じる、そんな気がするのです。
私は今人生において大事な受験を控えています。そのため、現地へ学校見学に行くことがあるのですが、第1志望の学校へ行ったとき、そのような明るい気分にはならなかったんです。このような気の所為なんかに頼らず、自分で努力しなければならないのは重々承知なのですが、縁起のことを考えると、合格しないのではないか、その土地に拒まれているのではないかとどうしても不安になります。
受験勉強もとても辛くて押し潰されそうです。ご縁というものに対してどのようなお考えをお持ちであるかお聞きしたいです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 3件
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感覚だけで遠ざけるのは、もったいない。築く「縁」も大切に。
縁は、直感だけに限りません。
あなたが、明るい気分になる→歓迎されていると納得をしている「縁」もあれば、築いていく「縁」もあります。
初対面だと、人物像がわからない→不安・苦手としか思えなかった人と離れるのも方法ですが、人物像がわからない→知りたいと興味を持ち、よく観察をしたり話しかけてみたりと、積極的に関わりを持とうとする。
「どんな人かわからない」だけでも、離れるか関わるか、反応は正反対です。どちらも「縁」ですが、どのように受け止めるかの違いですよね。
第一志望なのに、感覚だけで遠ざけるのは、もったいないんじゃないかしら。築く「縁」も大切にしてみませんか。
御縁は自然法爾あるがまま
縁というものは畢竟、自ずから成り立つものだと思います。自分の方で縁を結ぼう結ぼうと思っても結ばれないご縁もあれば、こちらでは何も思っていなくとも自ずから結ばれるご縁もありましょう。
すみれさまはせっかく素敵な直感をお持ちなのですから、それはそれとして今後も大切にして頂きたいと思います。
第一志望の大学には「明るい気分(直感)」を感じなかったとのことですから、もしかしたら結果的にはご縁はないのかもしれませんね。ですが、だからといって今そのようなことに心を迷わせて力を抜いてしまってよろしいのですか?
今はただ、力を出し尽くすこと、ベストを尽くすことこそが大事である、と拙僧は思いますよ。あなたがこれまでに積み上げて来た努力も、これから積み上げていく努力も、何事も一切無駄になどなりません。
結果を急いではなりません。結果は自ずと出るものです。自力を出し尽くした末に、他力が運んできてくれるものです。【ご縁】とはそのような壮大な「あるがまま」のはたらきのなかに成り立ってゆくものでありましょう。
あなたの前途にますますの幸いあらんことを。
そわか合掌
当たるかどうかはその時その時
拝読させて頂きました。
あなたが人や場所や様々なことにご縁を感じるのですね。あなたが受験なさった学校ではあまり良く感じなかったのですね。あなたが不安を感じておられることとてもわかるように感じます。
正確なところどうでしょうね?あなたはご縁を感じられなかったのかもしれませんが、実際にはどうでしょうね。
受験することで緊張もあります、普段と感覚が変わっていることもあるかもしれませんよね。私個人的には一概には言えないと思います。
私もあまりご縁を感じないなと思っていたところで採用が決まって働き出した会社もありますね。
当たるか当たらないかはその時その時で変わってきます。
せっかくですから前向きにしっかりと受験なさって下さいね。
あなたがこれからも素晴らしい出会いやご縁に恵まれて充実して生きることできますよう切に祈っております。