勝ちたいとか見返したいという思い
勝ちたいとか見返してやりたいという思いがあまり無いのですが、数年前より家族やお世話になった方達から、「負けそうになったり嫌な奴に見返してやりたいとかなにくそと思わない(名誉欲がない)お前は、この先やっていけないぞ」と言われました。
見返してやりたいとか名誉欲が無いのは、おかしいのでしょうか?
お坊様の意見を聞きたく思います
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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他人との優劣をつける必要が無いが、他者から学ぶことも多い
多かれ少なかれ、我々は周囲の人と自分を比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ったりすることがあります。「勝ちたいとか見返してやりたいという思い」というのは、劣等感から抜け出したいという思いからくるものであり、他人を見下したいという心理からくるものです。仏教語で言うならば、煩悩から来る思いだと思います。「勝ちたいとか見返してやりたいという思い」が無いということは、悪いことではありません。むしろ良いことだと思います。鳥海さんは鳥海さんのままでいいのです。他人との優劣に右往左往しない、そのままの自分で良いのです。
但し、ちょっと気を付けなければならないことがあります。「自分」というものが一体なんであるか、よくよく考えてみることも必要なんです。「褒めればつけあがり、叱ればすねる」という言葉がありますが、人間は其の時の感情でころころ変わります。人の心とは移ろいやすく、人の行動も支離滅裂になることもあるんです。ですから、我々は仏様の教えによって自分の行く道を照らし、折々に自分の行動を振り返り点検し仏前に懴悔することも必要なんです。
周囲の方との自分の優劣をつける必要はありませんが、周囲の方々の言葉や行動がよく観察することも必要です。何故なら、鳥海さんにとって良いお手本となるものが他の人々の中にたくさん有るからです。文豪吉川英治の名言と言われる言葉に「我以外皆我師也 我れ以外皆我が師なり」という言葉があります。他者との優劣や勝ち負けにとらわれないことは良いことですし、大事なことです。でも、他者から学びや気付きをいただく、という姿勢も大事ですよ。
質問者からのお礼
吉田俊英様、お言葉有り難う御座います。
「我以外皆我師也」の言葉を大事にします。