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物事に好奇心、興味を持つには

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有り難し有り難し 14

ある夢のために様々な知識が必要なのですが(物語を考えなければいけないので多ければ多いほど良いと思う)、
自分は元々好き嫌いがはっきりしていて、あまり物事に興味が持てないことのほうが多いのです。

何ごとも楽しんで関心を持ちたいのですが、どうも気持ちが高まらず続きません。何だか味気ないなぁと思ってしまいます。
映画や小説をみても、その時は楽しめますが興味が薄いためすぐに内容を忘れてしまったり。もったいないと思ってしまいます。

年齢とともに色々なことに無関心になってしまっているのではないかと少し不安になります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

テーマを決めて、取材して深堀りすれば

 物語を創作するというのは、素晴らしいことですけど、実際の作業はたいへんなことだと思います。タイトルにテーマを決めてと書きましたが、大きなテーマでなくてもいいんです。例えば、「感染症」ということをテーマに書くとしたら、病気の種類・治療法・感染症の歴史・感染症の社会への影響等いろいろと調べる必要が生じます。本で読むことも大事ですが、関係者への取材も大事だと思います。

 柚月裕子さんというミステリー作家が居られますが、12年程前に其の方の講演を聞く機会がありました。今は売れっ子のベストセラー作家ですが、其の当時は小説講座で勉強した主婦が本を一冊だした時だったと思います。裁判をテーマに小説を書いており検事や判事にも取材していることを語っておられました。その数年後『検事の本懐』という作品が出版され、何か文学賞を受賞したと思います。本で知識をえることも大事ですが、やはり現場の生の声を聞いて肉付けしないと、ストーリーにリィアリティを持たせることは出来ないと思います。そして、いい取材をして対象者からいい情報を引出すには、取材者の情報量も豊富で無いと駄目だと思います。

 「様々な知識が必要」と思っておられることは、理解できます。でも「様々な」という曖昧さが、情報収取のmotivationを下げているように感じます。昔、学生時代に天狗様に関する論文を書くため、天狗様に関わるお寺や神社に取材に行きました。そういうお寺や神社はメディアや郷土誌関係者の取材を受けることが多いので、取材をお願いするとめんどくさそうな顔をされます。でもね、こっちが天狗様のことをしっかり勉強しており、其の天狗様にも敬意を払っていることが伝わると、向かうも真剣に答えてくれました。

 どんな題材、どんなテーマで物語を書くのかを決める必要があると思います。当然、取材や執筆の段階で、テーマも題材も変わるかもしれません。それは仕方が無いことです。どんな物語を書くにしても、物語に登場する方々を正確に敬意を込めて描くことが大事です。そのためには、熱意をもって資料を読み、取材対象者が腹を割って話してくれるような熱意が必要だと思います。真剣な下準備と真剣な取材をやろう、という気持ちが何よりも大事だと思います。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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合理化や効率化の中で捨て去るものがある

拝見いたしました。

人生を晩年まで豊かにするためには好奇心が不可欠です。
『子どもは40000回質問をする』という書籍をご存知でしょうか。
好奇心についてかなり深く研究・考察されています。
その中では3つの好奇心があるとされています。
①拡散的好奇心:目につくもの全てに興味がある(TwitterやInstagram)
②知的好奇心:一つのものを突き詰めていく(研究やオタク)
③共感的好奇心:他人について知りたい(ドラマやドキュメンタリー)
と言った感じです。
①は積み重ねにならない上に知った気になってしまうので、幼少期以外は虚無感の強い時間になります。
②は積み重ねとして深まり、他の知識とも相乗効果が生まれるので充実感が高まります。
③は②があってこそ生まれる好奇心です。
つまり②知的好奇心を養うことが大事になるんです。

じゃあどうすればいいのか?
実はすでにある知識が大切なんです。
今ある知識に対して様々な角度から疑問を重ねることで、より深く理解が進んでいく。
つまり詰め込み教育は一概に悪いとは言えないんですね。
他にもたくさん興味深いことが書いてありますが、本書を読んでみてください。ここで書き連ねるには足りません。

でも正直、それは一つの問題に過ぎないと思うのです。
知識を蓄えることは確かに大切です。勉強という観点からも記憶は大事です。
ですが未来のためだけの勉強になってしまってはいないでしょうか。
将来のために苦労する、これは間違いではありません。
しかし過程に1つも楽しさを見出せなければ、一体いつになったら楽しめるのでしょう。
残酷な話ですが、この世は不確実性に溢れているので将来報われるとは限りません。
もし報われなかった時に「それでも時間をここに使ってよかった!」と思えかどうかは、時間を費やす一瞬一瞬を楽しめるかどうかにかかってきます。

合理化や効率化をはかることも大切でしょう。
実際私も超効率主義です。
ですがそれでもあえて時間をとり、目の前のことだけに楽しむ時間を作っています。
例えば、本を読むときはた没頭して夢中になる。
一通り楽しんだ後は、要約や要点、好きな一言をまとめてファイルに…といった努力をしています。
そうすれば夢中になった時間も無駄にはなりませんよね。

合理化に囚われず、ぜひ楽しむ気概を忘れないようにしてみてください。

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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
知識を得る過程を楽しむ、確かに大切なことだと思いました。
今まで将来のためにとにかく覚えなきゃ!!とどこか焦る気持ちがありましたが、
楽しむときは没頭してじっくり楽しむ、とメリハリをつけることにします。

「子供は40000回質問をする」少し難しそうな本ですが読んでみたいと思います!
教えてくださりありがとうございます。

お返事ありがとうございます。

なるほど。テーマが漠然としているよりもまずは小さく的を絞ったほうが調べやすいですね。
今までは手当り次第にやっていたかもしれません。初心に戻り自分が本当に書きたいことはなんなのか?をよく考えてみます。一番大事なことだと思いました。

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