アルコール中毒の叔父 本当に危ない
私の叔父は今アルコール中毒になり、その人の兄の家に転がり込んでいるのですが、そうなった原因の一つが会社のパワハラらしいですが、私の祖父はそれを聞いても「昔はそんなのは当たり前だった」とか言ってまともに取り合おうとしません。その叔父と祖父は昔から折り合いが悪く、会うといつも喧嘩になり、そういう私の家族、特に祖父との関係もアルコールに溺れた原因の一つだと私は思います。また、私のいとこ(叔父の息子)によると、その叔父は他人に対する依存心が強く、また保守的・閉鎖的性格で元から躁鬱病の傾向があり、気分が落ち込むと酒を飲み憂さ晴らしをするのでそうなったらしく、病院も医者と揉めたりトラブルを起こして退院させられたりしたそうで、基本人の言うことを聞かない人物でそれで酒に溺れるそうで、いとこに何回も電話をかけたので着信拒否されており、祖父はもちろん、いとこにも見放され、家族からほとんど愛想をつかされている状態です。今日の朝、叔父はアルコールの禁断症状により白目を剥いてひきつけのような状態になったらしく、本当に死んでしまうのではないかと思いました。叔父は学生時代ラグビーをやっていた体育会系で強い人ですが、そういう人でも継続してストレスを与えられ続けたらそうなるということであり、強ければ何でもうまくいくなんて嘘だと思いました。私の家族も保守的というか意固地というか融通が利かない家庭で、私も一緒にいると非常にイライラする時があります。(特に母がヒステリックですぐにグチグチ言うから一緒にいるといちいち腹が立つ)祖父はあんな人間(叔父)などは死ぬしかないと言っていますが、何とかそのような頑固で片意地な人を立ち直らせることは出来ないですかと思います。このように一方的な話をしてしまい申しわけありませんでした。
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気にかけるということは尊いことです
叔父さんの事が心配で、気にかけていらっしゃるんですね。これは本当に大切な心ですので大事にしてください。人の心とは本当に脆いものです。自暴自棄になりお酒に手を出しということを安易に「弱さ」と決めつけずに、そういうものなのだなぁとご自身でも悟っていらっしゃるからこその言葉だと思います。同時にそれは「自分ももしかしたらこうなるかもしれないなぁ」という謙虚な心なのでしょう。
これは仏教では「同事」と言い、人の気持ちを理解し、同じ立場にたつ思いやりの心です。そういう心を貴方がもつことはきっと叔父さんのお心も救い、そして貴方自身の心も救ってくださります。仏様の慈悲の心の一部を頂いていると思い、大切にしてください。
同時に理解がないと思える他のご家族の心に対しては、どうぞ憐れみの心で接して頂ければと思います。理解がない、決めつける、突き放すという心は我執の現れです。そしてこの我執が強ければ強いほど人の心には後悔や苦しみの芽が育ってしまうものです。
ただしひょっとしたら近くにいるからこそ、当事者として、様々な悩み苦しみを抱えているのかもしれません。自分の息子だからこそ、自分の兄弟だからこそ、何故こんなになってしまったかと辛い思いのなかで、止むにやまれず突き放し、そしてそんな自分にも嫌悪しているのかもしれません。
誰も悪くなく、全員が善意の中で生きているのに、不幸だけが生まれてしまうということは世の中は得てしてあることです。この状況を捉えて、仏教では大悲という言葉を使います。一切衆生が苦の中にある状況を、別け隔てなく憐れむ心です。どうかその心をお育て頂ければと思います。