年老いていく父
2年前に相談させていただき、その時はありがとうございました。
改めてまたご相談させてください。
私は精神疾患の母にずっと翻弄されてきました。その間は心身共にずっとギリギリか限界なところで生きてきました。
そして母からは離婚した父はいかに酷い男かをたくさん聞かされるかと思えば「父」というワードは禁句な環境でした。
でも、私は父が大好きだったので、母に内緒で夏休みに片道数時間かかるのに、日帰りで会ったりしていました。
父も母に相当振り回されて離婚に至っています。
母は私への依存心が強く、非常に傷つきやすいのですが、私を側にいさせるように天然で支配するような人なので、私は父のことを普段は考えないようにもしていて、実際に忘れている日の方が多くありました。
その母がようやく施設に入る形で落ち着き、私も晩婚という形で結婚をしました(子なし)。
するとこれまで蓋をしてきた父への気持ちが溢れ、物理的な距離が大きい中で、会う機会を作ったり、ほぼ毎日メールで連絡ができるようになりました。これは私の中では革命的な出来事と言っていいくらいでした。
ところが、ようやくこのような状況になれたのは、ここ2.3年ですが、すでに父は後期高齢者の年齢になっていました。
何でもひとりでできる父。でも、老いは抗えず、会う度に小さくなくなっている気がして胸が張り裂けそうになります。
本当は父も今までひとりでずっと寂しい思いをしてきたのに、母の世話が大変だからとこれまで放置に近い状態だったことへの罪悪感と申し訳なさでいっぱいになります。
せっかく親孝行が出来たと思っても帰りがけには、お弁当代といって数万円渡され、結局もらってばかりの自分。
新幹線での別れ際はお互いに強烈な寂しさに襲われるけど、平静を装っています。
旅行に連れて行ける状況になったのに、その時には父は長く歩くことはできなくなっていました。
そして父は自分が死んでから、家をどうするかなど優しく語ってくるのです。
残された少ない時間を目いっぱい愛情をかけようと思いながら、物理的な距離の大きさと、これまで何もしてあげられなかったこと、してもらってばかりなことで涙が止まらなくなります。
これまでの何十年と寂しい思いをさせてしまった罪悪感とどう向き合えばいいでしょうか。助言をいただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自他共に慈しむ
あなたがお母様の世話に尽力しながらも、お父様への思いを大切にし続けてきたこと、その時々の選択の中で何とか乗り越えてきたこと、すばらしいと感じます。状況が非常に困難でありながら、強い心で支えてきたこと、そのご苦労と葛藤、並大抵のものではなかったことでしょう。
さて、罪悪感との向き合い方についてですが、仏教の教えの中に「自他共に慈しむ」という考え方があります。自分に対しても他の人に対しても、慈しみの心を持つことが大切です。あなたがこれまで何もしてあげられなかったことを悔やむ気持ち、そして現在のお父様への思い、全てが愛情の表れです。それをどうか責めるのではなく、受け入れてあげてください。
長い間お父様に寂しい思いをさせてしまったという気持ちは、確かに胸を痛めるものです。しかし、今こうしてお父様との関係が再び築かれ、お互いに連絡を取る時間や会う機会を持てるようになったことは、あなたの心からの愛が実現している証です。その積み重ねが、お父様にとってもあなたにとっても、非常に大きな意味を持つはずです。過去を悔やむよりも、今の瞬間にお互いの時間を大切にすることが、大切だと思います。
お父様は、あなたと共に過ごす時間ややり取りが、何よりも大切な愛情の証だと感じていらっしゃることでしょう。どうか、自分を追い込みすぎず、お父様と共に過ごす喜びを見つめ続けてください。あなたの内にある温かな仏心が、今後の時間をより豊かで意義深いものにしてくれることを信じています。心からお祈り申し上げます。
お父様との今後の時間をより豊かで意義深いものにしてくれることを信じています。
追伸:いただいた「お気持ち」は被災地に寄付させて頂きます。
お釈迦さまは人生は「苦」であるけれどもそれを乗り越えることに真の喜びがあるとおっしゃっています。あなたとお父様のお幸せをご祈念いたします。合掌
質問者からのお礼
宮本龍太様
早々にお言葉をくださりありがとうございます。
これまでの苦労から救われ、報われた思いです。何度読んでも涙がすごい勢いで溢れてきます。
ずっと心にあったつかえが抜けて軽くなったような、不思議な感覚です。
そして、年齢的には高齢であっても、親孝行できる状況になれたことに感謝しかありません。
毎回、父に会えるのはこれが最後かもしれないと思っていますが、罪悪感ではなく慈しみの心で出来るだけのことをしたいです。
受け入れようと思えたら蓮の花に包まれたような、温かな気持ちになれました。
本当にありがとうございました。