父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を
私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。
気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。
家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。
私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。
しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。
父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です
これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。
なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。
励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今より離れた環境から、あなたなりの親子関係を保てばいい。
どうしても、社会的状況に合わせて、自身の感情・態度・行動をコントロールすることが難しい部分がありますものね。
周りも理解していても、コミュニケーションがスムーズでないと、ストレスを感じてしんどくなってきてしまいますよね。お父さんも、生きづらさを感じておられるであろうと思うと、なんとかできることならと、ご家族でも関わってこられたことと思います。
家族だからこそ、難しい距離でもありますね。いつも顔を合わせ、一緒に暮らしてきたわけですからね。
繋がりや仲間を求める人もいれば、自分のペースで自分のやりたいように進むのが、気がラクだという人もいます。お父さんは、どのように考えておられるのでしょうかね。
たとえば、当事者の会や、居場所の会など、語り合ったり、互いを認め合えるような場づくりをしている団体(NPO)などもあります。私も関西で会を開催していますが、市役所や公民館、病院などにも案内やチラシを置かせてもらったりしています。またそんな情報は、市の人権や福祉課、民生委員が知っていたりします。日頃の愚痴や不満、またコミュニティとして、参加していかれるのもいいんじゃないかしら。それは、お父さまの意思でですけれど。
家族だけが味方でいなきゃ、見捨ててはいけない、支えなきゃと頑張り過ぎなくてもいいんじゃないかしら。そして、今より離れた環境から、あなたなりの親子関係を保てばいいんじゃないかなと思いますよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
やはり社会で生きていると自分の心をコントロール出来なくなる事があるんですよね。父も生きづらいと思います。
父は正しさが1番で自分のルールや基準に従わないものは要らない。友達なんていなくても気にしない。と言った態度をとっています。
確かに当事者の会等は良いかもしれないと思いました。父も日々の愚痴や不満を吐き出せる公的な場があればもう少し違ったのかな…と感じています。カウンセラーの方に不安を吐露する事を提案してみても良いかもしれません
家族だけで頑張りすぎなくていいと言ってくださってとても嬉しかったです。救われた気持ちになりました。父をいつも見てきて味方でいるべき。支えるべきと考えていたので目から鱗と言った感じです。
今よりも離れた環境から、私なりの親子関係を保つ… その言葉を受けて、もしかしたら私は、父に執着して、近づきすぎていたのかもしれないと気づきました。
今より離れた環境で、常に客観視を欠かさず、お互いの心を無駄に傷つけぬよう気をつけながら親子関係を保とうと思います。
今回は回答して下さって本当にありがとうございました。