SOSの引き出し方、寄り添い方
保育士です。人間相手の正解のない仕事です。目下、私が悩んでいるのは子どもではなく、子どもに多大な影響を与える保護者に対しての援助?です。
家ではファストフードやスィーツ三昧な日々、健康志向の給食なんか美味しくない。夜遅くまで親の飲み会やお出かけに付き合わされ、寝不足でとても遊べない。仕事熱心な母親に、熱を出しても側にいてもらえず日中泣き続けるetc…
たくさんの事例にどんなに正論や理想、お子さんの現状や不利益を伝えたところで、相手が変化を求めていなければただの余計なお世話かと、自分の非力を感じます。
自分でない人間を変えようとするのは物凄く大変でしょうし、また「私が変えてやろう」というのも何だか尊大で違うなと思います。
その子が、背景にあるご家族のもとその子でありながら、心身共に健康であって欲しいというのが私の願いです。
非力な私と同じだと考えるのは大変恐縮なのですが、お坊さまも同じような事はありませんか?
役に立てるかもしれない、助けになりたいと思っていても、本人の「助けて」が無い場合、どうされますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【浄邦縁熟】【浄業機彰】グッドタイミング
お寺の住職をしながら、中学校相談員をしている転落院です。
現場の現状と、福祉や教育の建前や理想論との解離、ひとつひとつの問題の根深さと痒いところにいまいち手の届かないイヤらしさ、歯痒さとやるせなさに煩悶するあなたの痛み、私にはよくわかります。本当にご苦労様でございます。
ホントはすぐにでも助けてやりたい。でも我々が勇み足をしてしまえば、たちまちに別問題が発生し事態をいよいよ悪化させること間違いなしです。それは単に話が拗れるということだけではなく、場合によっては逆境と闘っている者の心を挫きかねません。だから、まずは我々はどこまでも「サポーター」であるということをしっかり確認すべきです。生命に関わるようなよほどの緊急事態ではないかぎり、「勇気を以て何もしない」のがベストであると、私は思っています。そのかわり、園児または親から一切のタブー無しでいつでも相談に来られるような場と信頼関係を全力で構築しておくべきだと思います。
かつてお釈迦さんも、【浄邦縁熟】【浄業機彰】つまり機が熟すまでは、それがいくら真実で尊い教えであったとしても、やみくもに語ることはありませんでした。
質問者からのお礼
転落院様、ご回答ありがとうございます。同じようなお仕事をされておられるとのこと、やはり堪えて見守り待つ事なのですね。
コロナ禍でますますコミュニケーションが疎になり、苦心しております。
お店ではない分、利用される方を身近に感じる職ではありますが、ある種の“店員さん”である心持ちも必要なのかな…と今思い至っております。