中絶の罪
2度目の質問になります。
前回、3人目の子供を中絶してしまった後悔についてありがたいお言葉をいただきました。
もうじき手術から1か月が過ぎますが、やはり後悔と懺悔の日々です。
手術の日に戻れるなら、もう一度やり直せるなら、考えない日はありません。
本当に思いがけない妊娠で、体調、将来、精神的な事、不安な事が様々ありました。
けれど、結局は私も夫も、3人の子供を産み育てる、覚悟が出来なかったのです。
弱かったのです。
後から後から、後悔と罪悪感が押し寄せて心から笑えない日々です。
あの子にとって後悔される事が1番良くないことなのでしょう、けれどあの子の命を奪っておいてもと通りに生活するのはいけない気がしてしまいます
子供たちをどこかへ連れて行ったり、お菓子を買ってあげたりするともう一人の自分が頭の中で、あの子を殺したのはこのためか、あの子の人生を奪って自分は子供と楽しむのか?と言うのが聞こえてくるのです
確かに私は、あの子を犠牲にして、今いる子供達との生活、自分の体や仕事を選んだのです
だからこそ、罪悪感が止まりません。
母は、この数年の間に甥と姪が相次いで自死したことで、私が罪の意識から死を選ぶのではと心配しています。
けれど私は、どれほど苦しくても、大きな罪を犯したとしても、やっぱり死にたくないです、生きて子供たちを大切に育てたい、人生を全うしたい、そして最後は、あの子や愛する家族たちと同じ場所へ行きたいと思うのです、このような罪を犯した私がそう願うのは許されるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同じ場所で遇うために、お念仏を大事に 手を合わせて生きる道を
仏様なら、それでも、あなたの受け入れてくださるでしょう。
罪を重ねてでしか、生きていけないのが、人間ですから。
あのときは、そうするしかなかったのでしょ。
よくよく考えて、悩んで、決めたことなのよね。
こうなることも、予測して。
それなら、あの子のためにも、今を背負っていこうね。
それが、あの子と一緒に生きていくということ。
そして、あの子と同じ場所で遇うために、
お念仏を大事に、手を合わせて生きる道をね。
忘れないで。
質問者からのお礼
とてもあたたかいお言葉ありがとうございます。
今はこの罪をどう受け入れたら良いのか毎日考えながらです。
上の子が何かを感じてしまっているのか、情緒不安定になってしまい、このままではいけないとご相談させていただきました。
手を合わせて生きる、今いる子供達を守りぬく、その先にあの子と会えると信じて生きたい、そう思うと少し希望を感じられました。