自分の見た目と中身のギャップについて
周りの人が思う自分と、自分が思う自分のギャップがあり、本当の自分が分からなくなってしまいました。
中学生の時の職業体験では、料理が全くできないのに、先生に料理ができると思われていたらしく、お惣菜屋さんで職業体験をしました。
大学生の時は、成績が悪くいつも単位を取れるか取れないかギリギリのラインにいたにもかかわらず、顔も名前も知らない人から勉強を教えてくれと頼まれたことがあります。私のことを頭がいい人と思っていたらしいです。
社会人になった今、上司から男遊びしたことがない前提で話をされます。
本当の自分は、料理をほとんどやったことがなく、キャベツとレタスの区別さえ危ういし、勉強は、赤点ギリギリの科目もあったし、snsで出会った男の人と遊んだことがあるし、人並みに恋愛をしたことがあります。
職業体験では、歪な形のおにぎりしか作れなかったし、勉強を教えてと頼まれたのに教えることができなかったし、私のことを処女だと思って近づいてきた男性のことを失望させてしまったこともあります。
周りの人が思う自分と、本当の自分が違うので、周囲の人と接するときに、どの自分でいれば良いのか分からなくなってしまいました。
料理ができるように振る舞っても、勉強ができるように振る舞っても、男遊びしたことがないように振る舞っても、本当の自分は料理も勉強も出来ないし、男性経験があるので、周りの人を失望させてしまいます。料理ができないと言っても、勉強ができないといっても、周りの人はそれを謙遜だと思います。
もう、どの自分でいればいいのかわかりません。
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自分を主張されてみてはどうでしょう
料理が出来る、頭がいいなど過大評価されてしまうのですね。確かに自分とのギャップが大きいと評価した側を落胆させてしまいますし、うしさんも勝手に過大評価されて、現実の自分とのギャップに悩まれることになるのでしょう。
私の子供も中学生の時に職場体験をしました。職場体験は体験させて下さる側の都合もありますから、全部の希望が叶う訳ではありませんでしたが、それでもやりたい職場体験をさせて頂きました。職場体験をうしさんの希望も聞かずに先生は何故、決められたのでしょうか。職場体験できる枠を振り分ける先生の都合があったかも知れませんが、それでも、うしさんの希望も聞かずにお惣菜屋さんに決められるのは、うしさんが普段から意思表示をされなくてもそれなりに事が運び、こなせてしまうと言うことはありませんか。頭がいい人は無駄なことは言いません。出過ぎたことは言わず、流れに任せて上手くすり抜けておられませんか。
自分の意見をしっかり言うことで、間違いや反感をかうこともありますが、うしさんの内側を表明することになります。日本の社会ではイエス、ノーをはっきり言うことはまだまだ難しいかも知れません。でも、はっきり言葉にして伝えないとご自分の気持ちは伝わりません。まず、例えばお菓子を出されてどれがいいと聞かれたら、真っ先に自分の好きなお菓子選んでしまうなど、ほんの些細なことから自分を主張されてみてはどうでしょうか。