前回の質問に答えてくださって、ありがとうございます。
お礼の言葉が遅くなってすみません。調べたところによると、テレビやインターネットで取り上げられ、バズっているんですね。
前回いただいた覚元様や川口様の回答を参考に、仏教を人に広めてみました。自分だけで喜びを味わっているより、人に伝えた方が、正に『喜びに満ち溢れている』という感じです。
何回か前の質問にもあるように、自殺志願者を救えなかった過去があります。ですがこれからは、1人でも多くの人を救えるよう、日々精進します。
こんな幸せは今までに感じたことありません。お二人のおかげです。ありがとうございます。
ありすぎてどれを書いたらいいのかわからない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
絵の具の一滴
せいやさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也といいます。
私がお応えするのは初めてですね。
今までの質問を見ると、非常に仏教に関心があり、また知識もあるご様子です。そしてそれを1人で味わうだけでなく、人にも弘めているとのこと。またそれを喜びと感じているのですね。
私は浄土真宗の僧侶ですが、当宗派の言葉に「自信教人信」という言葉があります。
「まず自らが信じて、そして人に教えて信ぜしめる」という意味で、せいやさんはそれを行っていることになります。
また、仏や菩薩の喜びは、正しい教えを人に伝えることです。ですから、せいやさんが仏教を人に伝えて「喜びに満ち溢れている」というのは、素晴らしいことだと思います。
ですが、せっかくの思いに水を差すようで申し訳ありませんが、仏教を人に伝えるのは困難なことです。なかなか成果が出ないことです。
お釈迦さまの教えは、放っておくと人間が進んでしまう方向に反しているからです。一度お伝えしても時間が経てば、元に戻ってしまうことも少なくありません。
仏教を伝える事を喩えて「川の上流に一滴ずつ絵の具を垂らし、海の色を変えるようなもの」という話しがあります。それほど果てしのないことだということでしょう。
私も精進しています。若いせいやさんも精進してくれるというのは、心強いことです。
話は変わりますが、私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」という会に所属しています。
http://www.bouzsanga.org
せいやさんも自死について書かれていますが、これは非常に難しい問題です。通常の状態の方に仏教を伝えるよりも、自死念慮者や自死遺族に対するのは遥かに困難です。
実際に活動している私たちでも、救えるなどと思ったことはありません。
ですから、せいやさんが今後、念慮者や遺族に出会い、それを救おうとしても思い通りにいかないことがあるかもしれません。
それは、せいやさんが力不足なわけでも、仏教が不十分なわけでもなく、人の心を動かすのはそれだけ難しいということです。
難しいことをしようとしている、その思いを心の片隅に置いて下さい。