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自分の命の捉え方

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有り難し有り難し 9

自分の命の捉え方についてご相談させてください。

私は命は尊く、儚く、大切にしなければならないものと理解しているつもりです。
しかし、今までの人生を振り返ると、それは自分にだけ当てはまっていないのではないかという気がしてきました。

簡単に申しますと、死にたいほど辛いことはありますが、自らを殺す行為はするつもりがありません。
しかし、私は過去に事件や事故に遭遇し「死ぬな」と思った時に、抵抗することをしなかったのです。

生きる理由としては、親より先に死んではいけないと思いますし、子どもが自立するまでは生きて育てる義務があるからです。

しかし、私はまた死に直面したり、頭ではなく心のままに生きれば、簡単に自分の命を手放してしまうのではないかと不安になることがあります。
生きることに執着していない、がしっくりくるかもしれません。

学生時代に自殺した、親しい友人がおります。
その時に残された者の辛さも知りました。悩みも聞いていたのにそれでも死を選ばせてしまった、自分の無力さも知りました。命の尊さも痛いほど感じました。

経験したからこそ、私は人にこんなに辛い思いもさせたくありません。
それなのに、こんな感覚をもつ自分が情けなく思えてきます。

どんなに辛いことがあっても、休むことなく毎日やりきっているので、「毎日死ぬ気で生きている」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、、、

先に申し上げた通り、母親としての責任もある中、簡単に命を手放す人間であってはならないと思っています。

辛い日は、心のままに動かないように飲酒を断ったり、今の気持ちと目標をノートに書き出して気持ちの整理をしたりとか、自分の気持ちのコントロールはある程度できているかと思います。

ですが、根本的な心で感じる自分の命の扱いが軽いままなのです。
どうしたら自分の命も人の命と同じように尊ぶことができるのか、よろしければ教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

知っていることは、知る必要がないのです。

ichiさんは、とても真面目に素直に生きておられます。
そして、一番大切な「生きる」ことに対しても関心を持っておらることが、その反対の「死」に対しても、それ以上に考えれておられると思います。

辛い日には、飲酒を断っても自分の心が動かないようにする。これは酒に逃げないということでありますが決心のいることです。又、思うままにノートに心の内を表すことも有効的です。
それも自分だけではなく家族のためにも「生きる」という決意の表れで、なかなかichiさんのような方は少ないと思います。

>根本的な心で感じる自分の命の扱いが軽いままなのです。
との事ですが、「生きる」ことに対して、これだけしっかりとしていること自体が、とても命を大切にしておられるのです。
すでに、大切にしているものを、これ以上大切にしようがないとも言えます。

言い換えれば、すでに命の大切を知っているのに、さらに知ろうとしてもそれは無理なことで、すでに女性なのに、さらに女性になろうとしているようなものなのです。

この世の中は、反対の出来事で知ることができるようになっています。相対性というものですね。暑いから寒いが分かる。高いから低いが分かる。右があるから左が、そして、苦しいから楽しい幸せが分かるのです。

ichiさんは、今までに周囲の死を通じて生きる大切を知りました。これで充分です。これ以上を望むことは、さらに苦しみが必要になります。知るために。そんな必要はないので、今のままでいいのです。

自分の命を大切に思う心が、他の人の命を尊び大切にすることです。
これからも、楽しく生きていきましょう。
それでいいのです。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

お忙しい中、ご回答いただきありがとうございました。
感覚的な質問になってしまいましたが、昔から心にあった悩みでしたので、納得できるお答えをいただけて少し心が軽くなりました。
まだ自分の楽しみや幸せを探す境地に至っておりませんが、それまでは今まで通り、周りの人が幸せでいられるようできるだけ人に優しく、一日一日を大切に生きていければと思います。
ありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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