自分しか愛せないこんな自分なんて
お久し振りです。
最近また特に理由もなく心身共に疲れ気味で、時折ここへ立ち寄らせて頂いてました。
その中で一つわかったのは、私は不幸なんかじゃなかった。不幸だとしたら、自分以外に愛情を持てない自分自身のせいだ。
少しくらいいじめられたのも、親とかの厳しい言葉も、彼氏できないのも、自分を「不幸にして」嘆き続けるための言い訳に過ぎなかった。私自身が悪いかもしれないのに。
そんな私も、許してもらってきたのに。
しかし、わかったからといって果たして人並みに自分以外も愛せるのでしょうか。
よく本にも書いている以上、「認められ幸せになるには、自分ばかりでなく他人のために努力すること」というのは本当なのでしょう。道徳的には当たり前かもしれない、しかし皆が皆そう生きれるわけでもないと、どうせ最後には誰もが自分を最優先するはずだとか嫌な考えにばかり行き着いてしまいます。
そんな中でわかっていったのです、私は異常なまでに自分中心の人間だと。
それどころか、本当はそもそも自分さえ好きとか愛してるわけでもない、そうするのは難しいです。私もともと「病的なほど死にたくない人」で、自己保存で頭が一杯で、結果的に他人を丁寧に扱えず、感じが悪いと思われがちなのでしょう。ついでそんな性質のおかげか、リスクや苦痛を避けまくり、挑戦を拒む自分にもモヤモヤが止まりません。
死にたくないあまりに生を楽しめないなんて…さらに自分で孤独感を深めてしまうのです。
hasunoha様と出会ってから、何もしてこなかったつもりはありません。おかげ様で、少しは変わったかもしれません。
それでもまだまだ努力というほどのことはできていない、人のための行為なんて尚更…
つまり、思い遣りとか、共感力とか、そういうものが身に着くものなら着けたいのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を愛することが一番です
拝読させて頂きました。
自分しか愛せない、それでもいいのです。
人間誰しも一番自分が大切です。
お釈迦様も「誰しもが自分のことが何より大切だ。とおっしゃっています。
そのようなかけがえのない自分を愛することが先ず一番です。この上なく大切な自分であることを知れば、ほかの誰しもが自分のことを大切に思っていることを痛感してわかることができます。つまり共感できるのです。人の思いを理解することができるのです。人に対して思いやりの気持ちをもつことができるのです。
あなたにとってかけがえのない自分を愛する、それが第一歩でいいのではないでしょうか。
その先はいろんな経験や人間関係から様々学ぶことになりますし、欲とエゴが乱立して争いがある中でもそれぞれ自分が大切だからそうなってしまうこともわかるのです。
とはいえみんながみんな自分のことばかり主張して我欲を通してもものごとうまくはいきません。そうした中でどうすれば人と周りの皆さんと一緒に共存できるのかをあれこれと考えてみて、自分ならばこうしてほしい、ああなってほしいということを試行錯誤持ち寄ってみればいいかと思います。その中でそれぞれ一部ずつ譲り合っていければ共存できる生き方が導き出されてくると思います。
あんまり「こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない」という考え方にとらわれずに自分なら「こうあってほしいな、こうすればいいな」という自分スタンスから周りに広げていければいいかと思います。
答えはそれぞれ違っていいと思います。
先ず自分を愛し大切にして、自分が幸せに生きることを優先して下さいね。
あなたがご自分を大切になさり、そしてご縁ある方々と一緒に幸せに生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。少し、気持ちが整理されたように思います。
特に自分スタンスの所、あまりそういう考えがなかったようなので、大切にしようと思います。