SNSでのトラブル後、悔しさが消えない
去年、SNSで数人とトラブルになりました。
元々ひとつの大きな仲良しグループでしたが、その中で価値観や考え方の違いから派閥のようになり、言い争いの上にグループが空中分解しました。
鬱になりSNSを去る人もいれば、開き直って居座る人もいて、中には更に別のSNSに私たちのことを面白おかしく書いてさらし者にしたり、滅茶苦茶になってしまいました。
私が事の発端に関わってしまったので悪いとは思いつつも、わざわざ名指しでSNSの中でさらし者にしてきた人は許せません。
本当は、私はその人のことがずっと好きでした。でも、私の共通の友人に、マナー違反を注意をする時にわざわざ匿名で注意をしました。
勿論マナー違反は行ってはならないことです。しかし、私は自分が絶対に間違っていない、彼女と友達だと思っているのなら何故そのまま本人に言わないのか?匿名のアカウントをわざわざ作り、関係者以外の皆の見えるところできつい言葉でマナー違反に対しての謝罪を求めるのはおかしいのではと指摘すると今度は私や庇った友達にも名指しで謝罪をもとめてきました。
私は本気で友達と仲良くしたかったです。本当に友達と思っているのならば、何故わざわざ匿名で言う必要があるのか?それなら面と向かって言った方がいいし、後からあの匿名メッセージは友達の中の一人だったと分かるとそちらの方がショックだと感じると伝えましたが理解して貰えませんでした。
結局、彼女たちはSNS上に残り、私や私の友人数人はそのSNSから去りました。
事の顛末を知らない人達は私たちが一方的にその人達に嫌がらせをしたと思われて、本当に悔しい思いをしています。
恨みつらみが消えません。
名誉を傷つけ居場所を奪われたと感じてしまうのです。
私も腹が立ちその人を悪く言ったりしたことは完全に未熟な証拠で、人間として恥ずかしい限りです。
しかし、悪いと指摘されたことではなく、相手のやり方が陰湿で卑怯と感じてしまい解せません。
その人はまだSNSに残っているようです。もう他の人とあまり交流はしていないようですが私生活で転職をしたり、ペットと遊んだりと、天罰が下るなんて嘘なのではと思います。私がこの手で罰したい気持ちすらあります。そんなことを思う自分も嫌です。
記憶から消したい、でも、大切な人生勉強になったから消してはいけない出来事…葛藤しています。
前に友達と思っていた人とトラブルになり恨みが消えません。
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他人のことはあまり気にしなさんな
他者のありよう、恨みつらみはあるでしょうが、あまり気にすると、自分が消耗します。修羅を心に飼うということは本当に辛く、苦しいことです。仏教の世界ではこの手のことは「許した」者勝ちと相場は決まっています。
また天罰とおっしゃりましたが、その方々のやりようが本当にひどいやり口であれば、その方々が安穏といられることはまずございません。他者に悪意を持ってなにかを成した事がある人は、必ず自分も同じことをされるという畏れを抱くものです。ですからどうか「かわいそうな人達」と思って頂ければと思います。
憎しみ怒りは執着しすぎると、己が心を焼き尽くしてしまいますので、是非寛容な心をお持ちになられて、心が平安になられますように。
質問者からのお礼
ありがとうございます。とても心が落ち着きました。