愛猫の死について
いつも、心温まる回答をいただいて救われています。本当にありがとうございます。そんな中、また相談したいことがありご連絡しました。
先日、愛猫が急死しました。15歳で猫の中では平均寿命より長生きはしましたが急なことで未だに心にぽっかり穴が空いたようです。腎不全が見つかったのが昨年の12月、そこから腎臓に負担のかからない食事と水分補給を心がけ、ご飯もよく食べよく動き1ヶ月に1回の血液検査も悪化してる訳でもなく「まだまだ一緒にいれる」と思ってました。
それが突然7月末から食べなくなり、動きも鈍くなり食欲増進剤を打ってもらってもご飯を食べず、仕事中も心配で心配で四六時中その子のことを考えてました。
亡くなった日の朝も、急な嘔吐・お漏らしで動かなくなり「もうダメだ」と思いました。しかし、しばらくして水を飲み始め普段通りの様子に戻ったので少し安心し、念の為病院に連れていき点滴をしてもらいました。しかし、病院から帰りしばらくすると舌を出した状態で息が荒くなり脈が早くなり目が見開き、これはいよいよだと思いました。その状態になってから30分くらいで私に抱っこされながら息を引き取りました。
私は、自分のエゴで病院に連れていき、美味しくもないご飯を食べさせしたくもない点滴をさせていたのではないかと、どうせならもっと美味しいものを食べさせてあげたかった、痛い思いもせず自由にさせてあげた方が良かったのかと今になりモヤモヤとしています。あの子の為に果たしてなっていたのか、言葉も分からないからもっともっと注意深くしてあげれなかったのか…
未だに涙を流さない日はないですし、家に残っている抜け毛を見つけては保存しています。家にいてもどこか寂しく虚無感が絶えません。遺骨も土に還すことが出来ず、私の部屋にあります。
このやるせなさや空虚感は時間が解決してくれるものなのでしょうか。それとも、私自身が自発的に気持ちを整理する必要があるのでしょうか。正直、自分から楽しいことしてみようとか美味しいもの食べようとか考えてもどうしても頭から離れず塞ぎ込んでしまいます。
これから、私はあの子の死とどう向き合えばいいのでしょうか。長々となり大変申し訳ありません。お時間ある時にお目通し頂ければと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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猫ちゃんは愛され大事にされて幸せだったのではないでしょうか
雪吹さん、愛猫ちゃんがおなくなりになり、お悔やみ申し上げます。
十五年何て、長生きでしたね。生き物には寿命があります。どんなに手を尽くしても死は免れません。一ヶ月に一度血液検査もし、7月末に食べられなくなってからは、獣医さんで手を尽くして、最期にも点滴してもらい、至れり尽くせりだったのですから、愛猫ちゃんも幸せだったのではないでしょうか。
振り返って考えてみれば、雪吹さんのエゴで病院に連れていき、美味しくもないご飯を食べさせ、したくもない点滴をさせていたのではないかと後悔されていますが、もし、美味しいものを食べさせてあげ、痛い思いもせず自由にさせてあげたら、今度は獣医さんに連れて行き、手当するべきだったのではと後悔するやも知れません。
どちらにしても、死を受け入れられないので、悩むことになるのではないでしょうか。月日が立てば悲しみが遠のくこともあるかもしれませんが、何か月立つとこうなるとという目安はないと思います。人それぞれ亡くしたものが違いますから一概には言えません。なくなったらもう以前のように抱っこしたり、擦り寄りきたりはしませんが、雪吹さんの心に生き続けます。会社に居る時も旅行に行くときも一緒で愛猫ちゃんは雪吹さんを見守り続けています。
十五年も共に暮らせば、口を聞けないのですから、喪失感は我が子以上でしょう。悲しみは深くて、なかなか虚無感から抜け出せないかも知れません。思い出すと涙が止まらないかもしれませんが、沢山思い出して、泣きたい時は我慢せずに、泣きましょう。色々思い出すと一番近くに愛猫ちゃんを感じませんか。どんな経験も記憶からは消し去ることは出来ないのですから、無理して忘れようとしなくても、大丈夫です。
人間の場合は一週間ごとにお経を上げて近親者が集まって供養します。お仏壇が無くても、お経を読まなくても、ご自分なりに遺骨の前に食べさせたかったものなどをお供えして手を合わせてみてはいいかがでしょうか。愛猫ちゃんは最後まで雪吹さんに愛され大事にされて幸せだったと思います。
その子をこれからも大切になさって
拝読させて頂きました。
大切なその子がお亡くなりになりあなたはとてもショックを受けていらっしゃるでしょう、そして深い悲しみやさみしさそして深く後悔なさっていらっしゃることと思います。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
その子が仏様に救われて心安らかになりますようにと心を込めてお祈りさせて頂きます。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
その子は仏様にみちびかれ沢山の方々から優しく迎えられて皆さんと一緒に心安らかになります。そして清らかに満たされてご成仏なさいます。
そしてこれからもあなたや大切な方々をいつでも優しく見守り続けて下さいます。
あなたが悲しい時辛い時もいつも寄り添い続けて下さいます。
あなたのその悲しみや後悔は尽きることはないとは思いますが、その子を思い手を合わせて頂き、あなたのその思いをありのままその子に心からお伝えなさって下さいね。あなたの思いは必ずその子に届き、その子はあなたの思いをありのまま受けとめて下さり、あなたを優しく受け入れてくれます。
その子はあなたと一緒人生を生きて毎日毎日とても幸せに充実して生き抜いていかれたのです。そしてあらん力を出して生きて天寿を全うしていかれたのです。
そしてこれからもあなたと一緒にあなたの人生を見守りながら生きていくのです。
あなたとその子とのつながりはこれからもずっと永遠に続いていきます。
合間合間にはいつもその子を感じることができるのです。
そしていつの日かあなたも天寿を全うなさる時には必ずその子があなたを優しく迎えてくれます。
どうかこれからもずっとその子とのご縁を大切になさって下さいね。
あなたがこれからもずっとその子と一緒に親密に心豊かに生き抜いていかれますようにと切にその子にお祈りさせて頂きますね。
質問者からのお礼
早くに目を通していただきありがとうございます。あの子が私と共に毎日幸せに充実した人生を送ることができたという言葉に、とても励まされました。誰よりも愛情を注いだ自信はあります。
私がいつか天寿を全うするその時まで、私の傍でわたしを見守り続けてくれるのだととても励みになりました。あの子が私との縁で繋がり、これからも一緒にいれることを念頭に自分の気持ちに素直に生きていきたいと思います。
これからも、毎日あの子に手を合わせていきたいと思います。有難いお言葉ありがとうございました。
西照寺の和田和子様
大変心温まるお言葉をありがとうございます。確かに、病院に診てもらわなかったらそれでも後悔していたと思います。それほど、あの子には生きてて欲しかったです。
それでも、仰るように死というのは免れず、いつか誰しもに訪れるのであれば、私はあの子の為に手を尽くせたことを幸せに思わなくてはいけないと、そう感じました。毎日毎日、あの子のことを思います。決して忘れることはないと思います。泣きたい時は泣き、あの子に思いを馳せたいと思います。
早速、美味しいご飯を買って遺骨の前に供えたいと思います。
本当にありがとうございました。