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母の死に対し、自分が憎い

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有り難し有り難し 14

母を亡くしました。
癌でした。
既に全身に転移をしており、長くはないとは言われていました。

最期は転移した場所が悪く、発見が遅れたこともあり真面に話すこともできぬままの別れとなりました。

感染症予防のため最期の入院の、約2ヶ月間は面会が制限され、非常に寂しい終末期を過ごさせてしまったと思っています。

病院側ならびに看護師のお計らいにより、泊まり込みにて死目には立ち会うことができましたが、やはり、寂しい終末期には後悔の念しかありません。

母にはもっと笑っていて欲しかった。
非常に辛い結婚生活を送り続けた結果がこれでは浮かばれない。そう思ってしまいます。

父と母とは所謂できちゃった結婚です。
父は結婚後すぐに心を病みました。

母に癌が見つかった後は病気を自己責任と突っ撥ね、治療費は出さぬの一点張り。買い物依存症になり、湯水の如く金を使い不要なものを買い続けました。

治療費は母の貯金と私の貯金とを切り崩すことでどうにか繋いでおりましたが、十分なことは出来ずじまいでした。

生前母が「もっと笑って生きていたかった」と言っているのを聞いたことがあります。
少なくとも私が生まれなければ、父と一緒になることも強いられず、母はもっと笑顔でいられたでしょう。

母の力にもなれず、癌を早くに見つけてあげられなかった私が伸う伸うと生きていることが憎い。恨めしい。

もう母は美味しいものに感動もできません。
綺麗な景色を目に焼き付けることもできません。
もう笑顔にもなれません。

自分の生きていく意味や、生きてきた意味のないことに震える私が、ただ憎く、ただ恨めしいだけです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を責めないでください。それがお母様の願いです。

ぐったりパンダさんのご心痛お察し申し上げます。
又、お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

色々と悩み、悲しみご自身を責めておられますが、まずは、お母さまからみれば、ぐったりパンダさんが自分を責めるのはやめて欲しいと思っています。
たしかに、もっとたくさんの笑顔で生きていたいと思われていたかもしれませんが、今は、そうなっています。
何故なら、肉体からの苦しみはもうないのです。魂と意識は、今尚、継続中ですから、段々と生きていた時の肉体の苦しみから解放されているので、そのことに気づけば、そして何より、ぐったりパンダさんが、そのことに気づいて頂ければ苦しみはありません。

ぐったりパンダさんを身籠ったこと結婚されたのも、偶然でもなんでもありません。それはもっと前からの約束であって、今そのことを悩んだり後悔をしてはいけません。それは、お母さま自身をも否定することになります。

ぐったりパンダさんが誕生した時から、今までどんな思いで育てて頂いたのか、赤ちゃんの時は、寝ずにお乳を飲ませてくれました。おしめも変えてくれました。離乳食、そして幼稚園、小学校とその成長を喜んで育ててくれたのです。
時は、ぐったりパンダさんのお陰で生きる喜びも感じたことでしょう。

お父様とも関係もある意味、親子として、又、お母様との夫婦としての関係で今日まできたのです。許せないことや理不尽に感じることもあるでしょうけど、これからは、お母様との距離はなくなり、常にいつも一緒にいます。
又、このような時世です。亡くなられる迄の間はお互い辛かったと思いますが、それももう終わりました。

今すぐに前向きになってとは言いませんが、お母様が一番望むことは、ぐったりパンダさんが、笑顔で明るく振る舞ってくれることです。自分を責めない。自分のせいでもなんでもありません。
少しずつ心が癒されてきたら、又、このことを思い出してください。

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質問者からのお礼

鈴木海祥様

見ず知らずの私のために温かいお言葉をくださいまして、お礼のしようもございません。

母の冥福をもお祈りくださいまして、誠にありがとうございます。母もきっと掬われたと思います。

私が笑顔でいること、それこそを母が願っているとのお言葉に、沈んでいた心が幾分か軽くなったように感じました。

今すぐには、心から明るくなることは難しく感じております。もし、可能であればご教示いただければ幸いです。

母が存命であった時は、目を閉じれば母は見えず、耳を塞げば母の声は聞こえませんでした。
当然ではありますが、再び目を開けばそこに母の姿はあり、耳を塞ぐのをやめれば母の声が聞こえていました。

しかし、今となっては、目を開いていようと閉じていようと、耳を澄ませたところで母の姿も声もなく、思い出の場所や遺された物を見るにつけ、また、聞こえてくる名前もわからない鳥の囀りにさえ、悲しみと涙が溢れてきてしまうのです。

親族や知人の先輩方がそうであったように、時が経てば悲しみも癒え、心から笑える日が来るのだろうとは思います。

ただ、それとともに「愛する母」が“愛していた母”に変わっていってしまう、私自身の非情さが恐ろしくて耐えられないのです。

通常であればお礼の箇所に記すようなことではないかと存じますが、何卒ご助言頂ければ幸いです。

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